言霊の幸わう国

ビジョン

 最近、小泉今日子が気になる。
 永作博美も気になっていたけれど、やっぱり小泉今日子。
 露出が多いので、やたらと目に付く。

 35になったから、というわけではないと思うが、歳のとり方について考えることが多くなった。
 どんな36歳、年女になるか。
 どんな37歳、38歳、39歳、そしてどんな40、50歳になるか。
 そんなことを考えている。

 いつまでも若くありたいと思わない。
 でも若々しくありたいとは思う。
 痛々しい若作りより、生き生きした歳の重ね方をしたいのだ。

 体のあちこちが自己メンテナンスではどうしようもなくなってきたことを自覚した今、自分にとって大切なものはなんなんやろなーと考える。
 仕事、すきな人、時間、美しさ、プライド、ともだち、家族、眠り。
 なにをどうしてどんなふうにすれば自分が心地よいのか。
 うーっと唸るようなことがあってもがんばれるのか。
 今はまだ検討と実験をくり返す日々だ。

 数ヶ月前までは、なりたい自分をイメージすることすらできず底のほうでどんよりしていた。
 あれもいいな、これもいいなと言うのは簡単だ。
 でもほんとうになりたいものは体の中心から湧き出てきたものでないと、自分を動かす力にはならない。
 エンジンすらかからないのだ。

 で、小泉今日子が気になる。
 今日も帰りに本屋に寄ったら、「SWITCH」の表紙の小泉今日子に目が止まった。
 ぱらぱらと見る気もないのに捲って、すぐにレジへと向かった。
 電車の中では食い入るように読んだ。
 小泉今日子本人以外の人が見る小泉今日子の描写が、おもしろかった。

 でも気になるからと言って、別に小泉今日子になりたいわけではない。
 なれるわけもないし。
 ただ気になる人のなにが気になるのかを、自分で知っておきたかった。

 人身事故で遅れる電車を乗換駅で待ちながら、湧き出た答えは。
 凛としていたい。
 一瞬の判断力とそれを持続させる丁寧さを持っていたい。

 20代後半から30代の入口は、やっぱり若さにかまけていた。
 部分的につらくなることもあったけれど、断然年齢を重ねることの楽しさを知りつつそこですっかりいい気になっていた。
 が、年齢が止まるわけないのだ。
 生きている限り時計の針は進み、変化と不変の間でもがくことはもはや逃れられない。
 ということに、目を瞑って見ないようにしていた。

 ずっと昔すきだった人が、言った。
「なりたくないと思ってたら、よそ見してるとそっちにハンドル切るみたいに、なりたくない自分になるで。」
 もう10年以上前に言われた言葉を、今もときどき思い出す。
 なりたい自分を想像できるか。
 今も試されている気がするのだ。

「SWITCH」の表紙には、小泉今日子の名の下に「独りであることの美しさ」と書かれていた。
 惹かれたのは、きっとこれだろう。
 なりたい自分は映像化すると、小高い丘の上で風に吹かれながら背筋を伸ばして立っている姿になる。
 わたしの考える、そしてなりたい「凛」は、凛々しさなのだ。  
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by fastfoward.koga | 2008-09-20 22:40 | 一日一言