言霊の幸わう国

孤高のスナフキン

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 今年7月高岡駅でこの案内板を見たとき、あぁ自分はどこにでも行けるのだと勇気が湧いた。
 同じく青森では、洗濯の合間にホテルの近所を散歩して向こうの方に青森港が見えたとき、あそこの船に乗ればもっと遠くへ行けるのだと気づき、ほんとうに自分がどこかへ行ってしまいそうで怖くて近づけなかった。

 旅をするということ。
 旅をしながら、よく考える。
 できるなら、ひと筆書きでさすらいたい。
 我が家に戻ることなく、ひたすら続く旅。

 恐らく、今世ではできないだろう。
 でもそれでいいような気がしている。
 今は、どこへでも行けると言うことが確認できれば。
 それがわたしという人間の器の大きさだと思うから。

 先へ進みたいと、常に思う。
 この扉の向こう。
 この道の向こう。
 この曲がり角、この坂、この線路、この雲。
 その先になにがあるのかが、知りたい。

 旅先で頭に入れた平面の地図が、立体となり実際目の前に現れたら、終わりがなくていつも困る。
 とりあえず諦めがつくのは、山と海にぶち当たったら。
 その先になにがあるのか想像力が追いつかなくなって、その無限さに慄いたら、やっと仕方がないと思える。
 今はもう無理だって。

 所謂自分探し的な、居場所を探す旅ではなく、単に足先で石ころを転がし続けて、結果前に進んだだけ。
 わたしがしている旅というものは、そういうささいなことではないのか。


 旅に出たいと思うだけで、目に涙が滲む。
 そして旅することを考えると、なぜかスナフキンが頭に浮かぶ。
 寂しい寂しいと嘆きながら風に吹かれて、でも歩を止めたりしない孤高のスナフキン。
 
 この夏の旅で心底寂しいと思ったのに、同じものをまた求めてしまうのはきっとそいつのせいだろう。
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by fastfoward.koga | 2008-10-06 22:40 | 一日一言