オーレ!
2008年 10月 17日
先月、本棚の上のさらにまた奥のほうから取り出したジャン=フィリップ・トゥーサンの「浴室」。
フランス文学を読むなんて後にも先にもこれ1冊だったんじゃないかと、再び読み終えたあと振り返った。
買ったのは、20歳の大学生のときだった。
買ったときのことは、よく覚えている。
印象に残る装丁で、気になりながら外国文学というとっつきにくさを初めは打ち消すことができず、何度目かの本屋でやっとレジへ持っていったのだ。
どんなものかと読み始め、おもしろさがわかるようなわからないような、読み終えたときはもやっとしたきもちになった。
今回再び読み終えて、下手なミステリーやケイタイ小説のように次から次へと事件が起こるだけで話が終わってしまうのではない、淡々とした中にある抑揚におもしろさを感じた。
例えばそれは、浴室で暮らし始める主人公が雨の眺め方について描写する場面。
「(33) 家にいて、外で雨が降るのを窓越しに眺めるには、二種類のやり方がある。第一の方法は、空間の任意の一点に視線を定めて、その場所に降り続く雨を眺めることである。このやり方は、精神にやすらぎを与えてくれるものだが、雨の運動の行き着くところを知る役には立たない。第二の方法は、視線をより柔軟に動かして、一粒の雨滴の落下を、それが視野に入った時から地面で砕ける時まで、ずっと目で追う、というやり方である。この方法によって、運動とは、一見どんな目にもとまらぬ速さであれ、本質的には不動の状態を目指すものであり、従って、どんなに緩慢な動きと見える時でも、絶えず物体を不動の状態、すなわち死へと導くものである、ということを心に思い描くことが可能となるのだ。オーレ。」
物事を遠く近く視点を変え、どうすればどのように見えるのかを真剣に考える。
いつしか、そこにおもしろさが見出せるようになった。
1993年に背伸びして買った本と自分に、小さく喝采。
フランス文学を読むなんて後にも先にもこれ1冊だったんじゃないかと、再び読み終えたあと振り返った。
買ったのは、20歳の大学生のときだった。
買ったときのことは、よく覚えている。
印象に残る装丁で、気になりながら外国文学というとっつきにくさを初めは打ち消すことができず、何度目かの本屋でやっとレジへ持っていったのだ。
どんなものかと読み始め、おもしろさがわかるようなわからないような、読み終えたときはもやっとしたきもちになった。
今回再び読み終えて、下手なミステリーやケイタイ小説のように次から次へと事件が起こるだけで話が終わってしまうのではない、淡々とした中にある抑揚におもしろさを感じた。
例えばそれは、浴室で暮らし始める主人公が雨の眺め方について描写する場面。
「(33) 家にいて、外で雨が降るのを窓越しに眺めるには、二種類のやり方がある。第一の方法は、空間の任意の一点に視線を定めて、その場所に降り続く雨を眺めることである。このやり方は、精神にやすらぎを与えてくれるものだが、雨の運動の行き着くところを知る役には立たない。第二の方法は、視線をより柔軟に動かして、一粒の雨滴の落下を、それが視野に入った時から地面で砕ける時まで、ずっと目で追う、というやり方である。この方法によって、運動とは、一見どんな目にもとまらぬ速さであれ、本質的には不動の状態を目指すものであり、従って、どんなに緩慢な動きと見える時でも、絶えず物体を不動の状態、すなわち死へと導くものである、ということを心に思い描くことが可能となるのだ。オーレ。」
物事を遠く近く視点を変え、どうすればどのように見えるのかを真剣に考える。
いつしか、そこにおもしろさが見出せるようになった。
1993年に背伸びして買った本と自分に、小さく喝采。
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cool-october2007 at 2008-10-21 06:52
ふむふむふむ。
まるでフランス映画のような描写ですね。
って僕も1冊途中で放置しているヤツがあるんですけど。。。。
まるでフランス映画のような描写ですね。
って僕も1冊途中で放置しているヤツがあるんですけど。。。。
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by
fastfoward.koga at 2008-10-21 22:23
by fastfoward.koga
| 2008-10-17 23:40
| 一日一言
|
Comments(2)