言霊の幸わう国
2022-09-29T21:50:30+09:00
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言葉数珠つなぎ
Excite Blog
あの眠り
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2022-09-29T21:50:00+09:00
2022-09-29T21:50:30+09:00
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一日一言
若いころは眠れないことにあせりを感じたけれど、今はもう慣れたもので、喉の渇きを癒し、トイレに行って、ベッドに戻ったらなにもなかったように、また寝る前のルーチンである本読みをしている。
ひどいときはこのルーチンを3回くり返す夜もある。
でも、あせることはない。
ひと晩くらい寝なくても死なないから、そう自分に言い聞かせて、また眠気に襲われるのを待てるようになった。
それでも、ときどき、また眠れないんだなあとベッドに腰掛けてささやくような声を出す夜もある。
誰にきかせるでもなく。
マンガの吹き出しのように、ぽそっと言葉を発する。
昨晩はルーチン中に、ふいに大学の図書館を思い出した。
高校を卒業してすぐ通った方と、通信で通った方のふたつの大学図書館。
どちらも好んで座る定位置にしている席があり、友人にもやっぱりここにいた、とよく言われていた。
もちろん調べものをしたり、レポートを書いたりもしたけれど、わたしはよくそこで居眠りをした。
湿気た匂いにひんやりした机。微かに感じる人の気配。
腕に乗せるおでこの収まりのいい位置が決まると、安心してすとんと眠れた。
深い深い水の底に落ちてゆくような、それが永遠に続くような、あの眠り。
憧れる。
あの場所でまた眠らせてはくれないだろうか。
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代替可能
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2020-11-25T22:26:00+09:00
2020-11-25T22:26:25+09:00
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未分類
1年ほどは遠近両用のコンタクトを使っていたが、遠くも近くも見えづらいことに耐えられなくなってしまった。見た目第一主義という意地は、レンズ代と見えないことへの腹立たしさに勝てなかった。
初めは仕事のときにだけ掛ければよかったところが、今では休みに出かけるときには持ち歩くようになった。お店のメニューをなんとなくの字面で指さし注文したら、想像していたものと違っていたという経験を経たからだ。
小さい字が見えづらいと、減っていた読書量がさらに減り、そのことでも心の中で葛藤が起こっていた。
それでも今年に入って、早めに寝室に移動するようになってから本を開く機会が増えてきた。眠る前なので、ふとんにもぐり込んでなおかつ裸眼で読める。裸眼サイコー! だ。
メガネを掛けたり外したりにめんどくささを感じると、また遠近両用コンタクトに戻そうかという思いが頭をよぎる。
でももうこの点において快適さなど皆無。だったらせめて気分の上がるメガネを掛けたい。
今狙っているのは、丸いフレームのメガネ。縁の種類がゴールドやべっ甲ぽいものなどいくつかあるので、買うぞと決めてお店に向かったときには思う存分迷おうと心に決めている。
老いることは失うものはあっても別のもので補充できるのだと、最近実感する。
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ビールの味
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2020-11-24T22:29:00+09:00
2020-11-24T22:29:20+09:00
2020-11-24T22:29:20+09:00
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未分類
確かに在宅勤務が多くなり、コンビニの店員さん以外人と話さない日がつづき、誰かと一緒にゴハンを食べることがなり、両親と数ヶ月も顔を合わせない日が増えただけで、その程度だと。
子どもがいたり、フリーで働く友人の話を聞いていたら、自分はさほどではない気がしていた。
劇的になにかが変わったように受け止めないのは、すべてが自然の流れに乗ってやってくるからだろうか。
第三波がやってきている昨今、ふと思い出したのは四月のある日。
行きつけのクラフトビールの店にテイクアウトを買いに行ったこと。
店長がひとりで、テイクアウトのお客さんがぽつりぽつり来ていた中、ちょっと待っててくださいと声をかけられ、その合間に酒類提供が可能な時間ですよの親切な言葉にのってビールを一杯注文した。
要請の出ていた営業時間ぎりぎりまで、店長と話しながらちびりちびり飲んだ。
いつもは頼まないパイント。飲むたびにマスクを下ろしても、店で飲めることの意味を噛み締めていた。
また、自粛の日々がきても、あんなビールはできれば飲みたくないなあ。
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準備運動
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2020-11-23T21:46:00+09:00
2020-11-23T21:46:12+09:00
2020-11-23T21:46:12+09:00
fastfoward.koga
未分類
ブログはパソコンで書いていたので、スマホでいつでもどこでも更新できるツイッターにきもちが傾いていくことは仕方ない。
予想通り更新は滞り、ブログのことを思い出さないこともなかったけれど、思ったこと、感じたことをすぐに言葉にしてアウトプットできる手軽なツイッターには勝てなかった。
それが急に、年単位で放置して閉じたも同然のこのブログを再び書く気になったのは、今年に入って在宅勤務が増えてPCに触る機会が増えたこと、そして、文章を書くのが下手になった、語彙が少なくなった、と年々感じるようになっていたからだ。
特別、ブログを書くことにあたってなにか大きなきっかけがあったわけでも、この先に夢見ていることがあるわけではない。
ただ、今よりもう少し、自分の考えや思いをしっくりとくる言葉や文章でアウトプットしたいという願いを持っている。
書くことと、そこに焦点を当てているけれど、書く前には考えるという準備が必ず必要になる。それがないと始まらない。
書くテーマが決まっていても、どんな出来事を書くのか、どんな順番にするのか、そのとき自分がどんなことを感じ、考えたのか、それが中心にないと言葉や文章にはなってくれない。
書く前のこうしてパソコンの前で自分と向き合う時間、それが今必要なのだと思っている。
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きらっ
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2020-11-22T23:32:00+09:00
2020-11-22T23:32:18+09:00
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未分類
時間ってすごいなあ、ちゃんと人に歳をとらせるのだなあ、なんて他人事のように思う。
少しだけ自分が過去に書いたものを読み返したら、それはもう素っ裸のようで小さな恥ずかしさがこみ上げてきた。
今は、今の自分は、素のようなお面をつけていることに、そこで気づいた。
がちがちだった自己顕示欲が墨をとかすように薄れ、よいふうに言えば肩の力が抜けてきた。要は、おばさんになってきた、という自覚ができるようになったのだ。
でも、おばさんなんだけど、そこは間違いなくそうなんだけど、たまにきらっとする瞬間は持っていたいな。
キラキラではなく、キラッでもなく、ひらがなのきらっでいい。
自分が、あ、今目を瞑った。ちょっとまぶしかったんじゃない? と思うくらい。
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これがわたしの生きる道
http://fastfoward.exblog.jp/29376702/
2018-03-17T21:23:00+09:00
2018-03-17T21:23:05+09:00
2018-03-17T21:23:05+09:00
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一日一言
なにをするのも仕事を優先する自分を昔から自覚していたけれど、仕事の邪魔をする人とは誘われても飲みにも行きたくないと思ってから、自分にとって仕事とはなんなのか考えていた。
異動するたびに業務の内容は変わって、取り巻く環境も接する人も違うし、それでも自分が仕事を優先するのはなんなのか。長い間、疑問ではあった。
以前は、24時間の中で1番長く過ごすからなのかな、求められるとその声に応えたいと思ってしまう性格だからなのかなと思っていた。
たぶんそれは間違ってはいない。
でも、わたしは仕事がすきというよりは、きっと仕事をすることがすきなのだ。
毎日山のような業務をこなすことが仕事だと、若いときは思っていた。
今は、毎日なにかしら発生する問題を解決するのが仕事だと思うようになった。
やりたいことをやって「やりがい」を感じるなんて、そんなところにいない。自分のしたいことをするのが、わたしが今いる場所ですることではない。
今の仕事はわたしがいなくても、最初は困るかもしれないけれど、いつかは誰かがどうにかして穴埋めできるのが真実だろう。
わたしでなくてもできることを、わたしはやっている。
でも、わたしがやるからこんなふうになる、それでどうだ、というきもちで働いている。
きっと、それがわたしが人生で自分に課した課題なのだ。
どうも、わたしは自分に少し負荷をかけているほうが生きやすいらしい。
我ながら面倒だとは思うが、このままの自分で(最低)定年まで働いてゆくつもり。
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おひとりさま、マンションを買う
http://fastfoward.exblog.jp/29329286/
2018-02-22T21:52:00+09:00
2018-03-17T21:25:16+09:00
2018-02-22T21:52:03+09:00
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一日一言
長らく契約社員で働き、2014年に正社員採用となってしばらく家賃手当があったのだけれど、それも45歳になる年度までの制度でまもなく終了。
そんなこんなを背負いながら、昨年夏にトーキョーに住む友人宅をはしごしたときに、ふいに自分はひとりで生きていくことに腹を括ろうという思いが湧いてきた。
と、思いが湧いてもなにをしていいのかわからず、11月までは仲のいい友人たちに決意を話す程度だった。
そこから、消費税も上がるしなあ、と手にとったスーモの無料雑誌を手に、ひとまずカウンターへ相談に行った(さすがリクルート。人生の転機にはいつもリクルートがいる)。
そして、相談からマンション見学を経て、両親に決意を告げ(相談ベースではなく)、申し込みまで1ヶ月。そこから鍵渡しまで3週間、さらにそこから引越しまでは1ヶ月。
仕事も多忙を極める中、まるで徒競走をしているようだった。毎日駆けていた(もちろん比喩)。
両親からの援助をはじめ、マンションの営業さんやローンの申請をした銀行の担当さん、みんなに神輿を担いでもらってわっしょいわっしょい。
思い出しても笑えるような数ヶ月だった。
わたしはもう誰かにチョー寄り添って生きるのは無理かもしれない。
自分のペースを守ること、人に気を使いすぎること、素をさらけ出すこと、人に頼ること。
その、それぞれのバランスを取ることが、もう、難しすぎる。
合わせて、猛烈に仕事の邪魔をされることが面倒で、仕事の忙しさや余裕のない中で楽しくもない人に誘われても、貴重な自分の時間を使うことが馬鹿らしいと思ってしまった。
それが1番のきっかけ。
とにかく、仕事に集中したい。それ以外の時間は仕事に集中できるように、気のおけない人たちとの楽しい時間とニュートラルになる自分だけの時間を過ごしたいと思った。強く強く。
そうして、わたしは今、見晴らしの良い部屋で暮らしている。
暖かくなったら、ベランダで陽射しをよけつつ、ビールを飲むことを楽しみにしている。
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新しい波乗り
http://fastfoward.exblog.jp/29282140/
2018-02-10T21:24:00+09:00
2018-03-17T21:27:55+09:00
2018-02-10T21:24:59+09:00
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一日一言
結果をじっくり見る。
昨年より体重も腹回りも改善されていたけれど、体脂肪が増えていた。
筋肉量が減ったということかとしみじみ。
血圧、骨密度、中性脂肪等々、問題ないけれど、運動しなくちゃ、なんだろうな。
ここ数年、酒量が確実に増えている。
特にこの1年は楽しいお酒が多く、明後日も昼から飲みにゆく。
健康と楽しみのバランス。
大人ならばうまく乗りこなせないとな。
乗りこなしてこそ大人。
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ひとりであること
http://fastfoward.exblog.jp/29239813/
2018-02-05T22:06:00+09:00
2018-02-05T22:06:46+09:00
2018-02-05T22:06:46+09:00
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一日一言
それはそれは、濃密な時間を過ごした。
先日読んだ川上弘美の『森へいきましょう』にこんな言葉があった。
「あたしたち、ずいぶん遠くまで来ちゃったよね」
たくさんいる主人公のひとり「ルツ」44歳が、そう言うのだ。
偶然にも同い年。その偶然を噛みしめながら、数日前によぎっていた思いを反芻し、その言葉を頭の中の指で丁寧になぞって読んだ。
「あたしたち、遠くまで来たけど、たぶん、もっと遠くまで行かなきゃならないんだよね。生きてるって、そういうことだよね。」
それは、少し高い買い物をした帰り道。予算はあってないようなあるような、でもあーこんなにするのかあと思いながら、でもここはこだわっておきたいと気に入ったものを注文した帰りだった。
これからはこうやって(例え高いと感じることでも)、自分で選択して自分ですべて決めてゆくんだなと、湧きでた思い。
そのふいの軽さとは真逆にずんときたギャップには、少しのさみしさとそれより多い好奇心とさらに強いやってやるぜ感があって、爽快感があった。
書くことからも、読むことすらも遠ざかりつつある今、生活が変わったタイミングでハンドルを切った。
書かない間は、ただひたすら仕事をして、よくお酒を飲んでいた。
旅はしなかった。恋もしなかった。
だんだん自分の芯に近づいていって(そうすることにひりひりしなくなってきた)、本質というか核というかを見極めつつある気がする。
自分はこう、と決めつける気は毛頭ないけれど、動かせない自分という人間を表す事実は抗ったりせずに受け止められるようになった(と思う)。
変わったところとかわっていないところ。
どっちも自分でどれも自分。
こういう書き方は相変わらずで、自問自答の絶えない人生だけれどそれもまた楽し。
今、わたしは、ひとりであるということを、無性に語りたくなった。
それもね、楽しいのよ。ほんとに。
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4月の巻
http://fastfoward.exblog.jp/26638038/
2017-05-05T22:32:00+09:00
2017-05-05T22:34:40+09:00
2017-05-05T22:32:50+09:00
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本の虫
19 宮本輝 焚火の終わり(下)・文春文庫20 吉田篤弘 針が飛ぶ・新潮社 ※
21 三浦しをん 君はポラリス・新潮文庫 ※
※印は、読み返した本です。
相変わらず、宮本輝を貪るように読んでいます。
一昨日は友人と飲んだあと、そういえば宮本輝作品を読み終ってたなと次の宮本輝作品を探しに行きましたが、大きな書店にも関わらず品揃えが少なく、心の中で小さく舌打ち。
映像化されてる本ばっかり売ってんじゃねーよ、がんばれよ本屋! と毒づきながらも、渋谷のブックファーストが閉店してしまう時代です。22時まで開いているだけでもありがたいねえと、1時間ほど書店をうろうろしてなんとか1冊文庫本を手にして帰りました。
閑話休題。
その宮本輝熱をクールダウンすべく、吉田篤弘の『針がとぶ』を読みました。
この作品は連作短編ですが、定期的に読み返しているにも関わらずそのことを忘れて、いつもトップバッターのタイトル作品を楽しみに表紙を開きます。
この作品は、なぜか波長が合うと感じていた叔母を亡くした若き女性が主人公です。
わたしはこれを読み返す度に、伯母になりたかったなあと思います。
小説の世界では、両親という直系家族よりも曽祖父や叔父や叔父や叔母が、そのほどよい距離感のほうが表現しやすいのか、よく登場します。
この作品に登場する伯母は、生きている時間の中に独自のこだわりを散らばらせ生涯を終えるのですが、なぜでしょう小説に登場する伯母という人はたいてい独り者なのです。
そんな伯母像についつい自分を重ね合わせてしまうのか、あぁわたしも伯母になりたかったと思うのです(私の場合は、なりえても叔母ですが)。
子育てというものを知らぬわたしは、世界のいろんなものを吸収するこどもを、時に驚異に感じます。
自分はたいした人間でもないのに、その子になにかしらの影響を及ぼしてしまうことを(正確には、及ぼしてしまうこと、かもしれません)、驚異に感じるのです。
子を育てる覚悟などありません。でも、その子が自分の動きや言葉を真似したり、会話が成立することが、わたしのなにかが届いているのだと思うと小さな感動が胸に生まれます。
ましてや、親でもないのに友人の子が、自分が誕生日にあげた本を楽しそうに読んでくれることや、わたしのために誕生日プレゼントを選んでくれるなんてことがあれば、それはもう大げさですが己の存在価値を見出すこともできます。
わたしにとって、伯母という存在はそれに近いのかもしれません。
そして、『針が飛ぶ』は、そんなわたしの伯母像への憧れを満たしてくれる一方で、どこか自分をもてあました主人公にも自分を投影しているような気がします。
おそらく、この作品はこの先も、ところどころを忘れながら何度も読み返してゆくのでしょう。
あの作品の世界は、いつでもわたしに安息の場所を提供してくれます。
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1月~3月の巻
http://fastfoward.exblog.jp/26608653/
2017-04-23T23:10:00+09:00
2017-04-23T23:58:07+09:00
2017-04-23T23:10:13+09:00
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本の虫
※印は読み返した本です。
この3ヶ月は、本を読みたくて読みたくて仕方ないのに頭と身体がついていかない、そんなもどかしい時期でした。
村上春樹の新刊は発売日翌日に購入していましたが、心も身体も疲労がピークで読み進められず。
仕事のストレスでなにもかもが嫌になり、3月頭にただ本を読むための旅に出ました。
旅といっても金曜の残業終わりに神戸へ向かっただけですが、海の見えるベランダのある部屋で2日間、『騎士団長殺し』を読みました。
長らく旅らしい旅をしていませんが、いつもと違う場所で本を読むことが自分に潤いをもたらすことだったことを思い出しました。
日々の生活の渇きを心底実感したところから旅は始まり、夜が明けてゆく様子を眺めたり、海風を受けたりしているうちに頭に入ってこなかった文章がすうっと入り込むようになりました。
入り込んだら、足先から頭のてっぺんまで体中が水で満たされた気がしました。
どちらかというと、今までのわたしの旅は移動することが第一目的になっていることが多かったので、訪れた場所でそこにある空気を楽しむことをすっかり忘れていました。
あの日過ごした時間やそのときの記憶は、そのあと何度も思い出しています。
それを勇気と呼ぶのだと思います。思い出すことで勇気が湧いてきます。
ただ本が読みたくて『騎士団長殺し』の上下巻をカバンに詰めたその重みも、きっと忘れないでしょう。
結局上巻の途中までしか読めず、下巻の出番はありませんでしたが。]]>
4月~12月の巻(2016年)
http://fastfoward.exblog.jp/26608391/
2017-04-23T21:42:00+09:00
2017-04-24T00:00:58+09:00
2017-04-23T21:42:32+09:00
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本の虫
21 山崎ナオコーラ
美しい距離・文藝春秋
22 石持浅海 Rのつく月には気をつけよう・祥伝社 ※
23 伊坂幸太郎 アヒルと鴨のコインロッカー・創元推理文庫 ※
24 村田紗耶香 コンビニ人間・文藝春秋
25 三浦しをん 神去なあなあ夜話・徳間文庫
26 伊坂幸太郎 SOSの猿・中公文庫 ※
27 伊坂幸太郎 死神の浮力・文春文庫
28 川上未映子 愛の夢とか・講談社文庫
29 綿矢りさ 勝手にふるえてろ・文春文庫 ※
30 絲山秋子 沖で待つ・文藝春秋 ※
31 川上弘美 天頂より少し下って・小学館文庫
32 絲山秋子 ラジ&ピース・講談社文庫 ※
33 くるり+宇野維正
くるりのこと・新潮社
34 津村記久子 ポストライムの舟・講談社 ※
35 井上荒野 ほろびぬ姫・新潮文庫
36 山田詠美 賢者の愛・中央公論社
37 西加奈子 通天閣・筑摩書房 ※
38 西川美和 きのうの神さま・ポプラ文庫 ※
39 西川美和 永い言い訳・文藝春秋 ※
40 絲山秋子 袋小路の男・講談社文庫 ※
41 朝井リョウ 何者・新潮社 ※
42 浅井リョウ 何様・新潮社
43 西川美和 ゆれる・ポプラ社 ※
44 三浦しをん 光・集英社文庫 ※
45 東直子 とりつくしま・筑摩書房
46 酒井順子 その人、独身?・講談社 ※
47 宮本輝 草花たちの静かな誓い・集英社
48 綿矢りさ 手のひらの京・新潮
49 ベルンハルト・シュリンク 松永美穂訳
朗読者・新潮文庫 ※
※印は読み返した本です。
ご無沙汰しています。
ブログを書かない生活が日常になってしまっていますが、本だけは読み続けています。
せめて本のことくらい、書き記しておこうと思います。
2016年は、自分が上質だと思えるものを読もうというきもちで1冊1冊を選びました。
あとは、映像化される作品を読んだり、読み返したり。
9ヶ月間の記録を並べてみて、どんな物語だったか思い出せないものもあります。
加齢でしょうか。物覚えが悪くて。
そんな中でも印象に残っている作品は。
さすがの小泉今日子『黄色いマンション 黒い猫』、やっぱりの山崎ナオコーラの『美しい距離』、そして大御所宮本輝の『草花たちの静かな誓い』です。
必ず読み返すときがくるでしょう。
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京都タワーのような
http://fastfoward.exblog.jp/26281857/
2016-12-31T21:47:00+09:00
2016-12-31T21:50:44+09:00
2016-12-31T21:50:44+09:00
fastfoward.koga
一日一言
反省ばかりで、でもどこか自分に自信があって反省は必要なことだった。
来年は反省よりは前向きななにかで自分を前に進めさせることができるようになりたい。
ほんとうに、やりたいことはまだ先にあるので、ここでとどまるわけにはいかない。
未来を自分で明るく照らせるぐらい、強く明るく、柔らかくやさしくなりたいな。
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真っ裸になる
http://fastfoward.exblog.jp/26152555/
2016-11-15T22:40:52+09:00
2016-11-15T22:40:32+09:00
2016-11-15T22:40:32+09:00
fastfoward.koga
一日一言
結構貯まっていた。
ああ、旅がしたい。旅がしたい。旅がしたい。
どこへ行けば、がんじがらめから解放されるだろうか。
ああ、真っ裸になるくらいの旅がしたい。]]>
省エネルギー
http://fastfoward.exblog.jp/26149073/
2016-11-14T22:19:58+09:00
2016-11-14T22:19:39+09:00
2016-11-14T22:19:39+09:00
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一日一言
果たして、今この言葉を発してどのくらい相手に届くのか。
最小のパフォーマンスで最小の効果を上げるには、どの場面でどんな言葉を使えばいいのか。
そんなことを公私ともに考える。
こう書くとどこか打算的な匂いがしてしまうけれどよい面もあって、今までなら自分の思いだけを伝えようとして繋いでいた言葉数を減らして、効果は上げている気がしている。
いい意味でのあきらめ。
引いたり、待ったりができるようになってきた。
でもいつもそんなふうに駆け引きができているわけではなく、持ってゆきたい方向が定まっているときにはねじ伏せるように言葉を重しとして使ってしまうことはある。
話し合いが終わったあと、ひとりになって、あぁ今押し付けたなと少しの罪悪感にかられるのだ。
自分は成人君主じゃない。みなと同じように悩み事も愚痴も口にしたい。誰かに同意されなくとも、共感くらいされたいと願う。
でも、正直、満たされて満足感を得ることは少ない。
それは満たされていないからではなく、満たされても満たされたことに罪悪感を覚えることがあるからだ。
わかってほしいという思いは、ただのわがまま、エゴなんじゃないかと声を上げる自分がいる。
それがいつも頭の中に過ぎって、ふたつの思いに挟まれて、最後は心底ぐったりする。
正直、ばかばかしい。
以前は、もっとシンプルに人とやりとりができていた。
少なくとも自分のエネルギーの残量なんて気にすることなく。
こういうのも加齢のひとつなのかな、なんて思う。
歳のせいにして楽になれるなら、そんな楽なことはないのだけれど。
まあでも、こねくり回して考える癖は、いくつになっても変わらない。
それは一生ものだな。]]>
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