言霊の幸わう国

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ニイガタ・ムラカミ通信 「形あるもの」

 新潟からうちに帰ってきて、毎日のようにはこやさんに作ってもらった「コガキューブ」に触れている。
 いくつもの組み合わせで使えますよと言うはこやさんの言葉どおり、あれとこれを組み合わせたり、これとあれを一緒にしてみたりと、使い方はいろいろ。
 そうやってどう使おうかと考えている自分は、ふと我に返ると積み木で遊ぶこどもみたいだなと思った。

 村上に行って、ものを作る人にたくさん会った。
 箱に、漆器に、お菓子に、お茶に、料理に、お酒。
 そういえば、この世にあるものは人の手によって作られたもので溢れている。

 はこやさんちでは、お仕事場を見せてもらった。
 ひとつひとつ機械の説明をしながら、実際にやって見せてもらう。
 はこやさんの手にかかると、きれっぱしのボール紙があっという間に箱になる。
 掌に乗るくらいの小さな小さな箱。
 そのままもらって帰ろうかと思った。

 ものが出来上がる過程は、どんなものでもおもしろい。
 そしてその過程を見ると、愛着がわく。

 展開されたボール紙の四方を止める方法を教えてもらった。
 次から箱を見たら、どんなとめかたをしてあるのか、きっとわたしはさりげなく確認するだろう。

 帰りにいただいた和菓子の箱。
 中身はお腹に収まった。でも、箱は捨てられない。
 どんなふうにして、どんな人が作ったか見てしまったら、そう簡単には手離せない。

 やっぱりなにかを形あるものを作るというのは、すごいのだ。
 一瞬にして人の心を捉えて離さない。
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by fastfoward.koga | 2006-09-30 22:00 | 旅行けば | Comments(4)

ニイガタ・ムラカミ通信 「くるり」

 わたしは音楽はうちの中か、車の中でしか聴かない。
 i-Podやウォークマンのような、出かけるときに携帯して音楽を聴けるものは持っていない。

 いろんなところへ行って、ときどきあぁ今ここに音楽があればなと思うことがある。
 そう思うのはたいていひとりで出かけたときだ。
 でもそれは、ひとりの静かさに耐えられないからというわけではない。
 ただここに音が流れたら、空気の流れ方が違ってくるのかなと思うのだ。

 つくづく自分は言語の人間だと思う。
 わたしの記憶は、あくまでも言葉でパウチされる。
 見て、触れて、感じたものを言葉にして、それを記憶として脳の中に納める。
 もちろん音も味も、そのときは感じている。
 でもそのふたつはわたしにはうまく言語化できない分野なので、1年半ここに綴ってきた中にも音と味についてはそれほど多く書いていないと思う。
 圧倒的に、見たものと触れたものについて書いたもののほうが多いだろう。
 言葉に置き換えられないものは、苦手なのだ。

 だから、音だけとか映像で記録や記憶を残す人に憧れる。
 ただただ、すごいと憧れる。

 ・・・話がそれた。

 いつものことだけれど、今回もよく歩いた(新潟市内は、半日でたぶん8キロくらいは軽く歩いているはず)。
 歩かないと道が覚えられないので、旅先では時間と体力が許せば可能な限り歩くようにしているのだ。
 
 日曜の昼下がりの新潟市内も人が混雑して歩きにくいなんてこともなかったので、きもちよく自分のペースで歩いた。
 さくさくさくさく。
 歩いている自分に擬態語を当てるなら、そんな感じ。
 歩きながら、さくさくが口の中で転がりだすと調子がよいという証拠で、そのあとはだいたいハナウタを歌う。

 今回の旅では、ずっとくるりを歌っていた。

 風がそよげば「春風」を。
 空を見上げれば「ロックンロール」を。
 飛行機の中では「ばらの花」を。
 赤い車を見たら「赤い電車」を。
 街全体に視線が広がれば「虹」を。

  「揺るがない幸せがただ欲しいのです
  僕はあなたにそっと言います
  言葉をひとつひとつ探して
  花の名前をひとつ覚えてあなたに教えるんです

  遠く汽車の窓辺からは春風も見えるでしょう
  ここで涙が出ないのも幸せのひとつなんです
  ほらまた雨が降りそうです」

                                くるり 『春風』


 選曲が正しいかどうかはあやしいものだけれど、自分の旅に初めて音が一緒にパウチされて記憶となるんじゃないだろうか。
 ただ、こうやって言語化してツメの甘さをカバーするあたりが未熟なのだけれど。
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by fastfoward.koga | 2006-09-29 20:56 | 旅行けば | Comments(0)

ニイガタ・ムラカミ通信 「あいさつ」

 今月30日まで村上市で開催されている、「町屋の屏風まつり」
 城下町村上に古くから残る屏風を、町のみなさんがそれぞれ飾り、展示ご披露してくださるというもの。

 はこやさんやそのご近所さん「酒田や」さんに教えてもらったおうち(お店)を、地図片手に1軒1軒歩いてまわった。
 屏風なんてガラス越しに見ることしかなかったので、もちろん触れはできないけれど、まじまじと生で見させてもらうことができたのはとても貴重だった。
 展示されている屏風も、絵だったり書だったりといろいろある。
 屏風なんて今までこだわって見たことがなかったけれど、なんとなくわたしは意味はわからなくても書の屏風がいいなと思った。

 屏風を見せてもらうときは、1軒1軒、おうちに入るたびに「こんにちはー」と言う。
 そして「屏風、見せていただいてもよろしいですか」と尋ねる。
 村上のみなさんは「どうぞ、どうぞ」と迎えてくれる。
 見せてもらう間に、屏風にまつわる話や村上の歴史などのお話をしてくださることもある。
 最後は、「ありがとうございました」とお礼を言って出る。

 とにかく、「こんにちは」と「ありがとう」のくり返し。

 ひとりで旅に出ると、特に人と話すことが少なくなる。
 1日中、あいさつもしないですんでしまうことだってある。
 そんな中、今回の旅はとにかくたくさんあいさつをして、見知らぬ人たちといろんな話をした。
 ひとりのようで、ひとりじゃない。

 村上は不思議な親近感を残す、いい町だった。
 だからいい旅だったなと思う。 
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by fastfoward.koga | 2006-09-28 21:45 | 旅行けば | Comments(2)

ニイガタ・ムラカミ通信 「ハガキ」

 旅していた4日間。
 ハガキを書き続けた。

 郵便局の隅、コンビニの前のベンチ、お寺の前、展望台、屏風まつりの休憩所。
 いろんなところで書いた。
 机じゃないところばかりだったから、字は汚いし、日本語もおかしいところがたくさんあった。

 でも、書いていて楽しかった。
 旅先から送るハガキに書くこともないような内容だったけれど、貼った切手に「新潟」や「村上」という自分が歩きまわった街の消印が押されると思うと、ひとり静かにわくわくした。
 こうなると申し訳ないけれど、ハガキを送った相手そっちのけ、だ(すみません)。

 そのせいか、旅をしている間、あまりブログのことが気にならなかった。
 いつもは、頭のどこかで自分のブログを開くシュミレーションをしたりするのだけれど、今回は1度もそういうことがなかった。
 要は、わたしは書きさえすればいいのかもしれない。
 1日1回、自分の言葉をなにかに書き綴れば、気もそぞろなんてことにならないのだ。

 ということで、最後に投函したハガキもそろそろ届くころ。
 あぁ、これで旅は終わったのだな。
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by fastfoward.koga | 2006-09-28 16:52 | 旅行けば | Comments(4)

帰りました

 24日、10時40分発の飛行機に乗りこんだ。
 行き先は、新潟。

 オリバコヤのはこやさんに注文した「コガキューブ(はこやさん命名)」を、受け取りに行ってきた。
 
 初めて会う人を尋ねる旅。
 ひとりの時間と、誰かと一緒に過ごす時間。
 そのバランスがうまく取りきれていなかったせいか、出会った人たちや街に与えてもらうばかりだった。
 そして、なじみすぎて旅ではなく生活しているような不思議な感じがした。

 与えてもらったものは、ふさわしい形で出していこう。
 感謝の言葉だけでは、伝えきれないし。


 ということで、7月に出かけた佐賀県とともに「経県値」を再計算してみました。
 こんな感じです。

 コガ経県値(2006年9月現在・146点)
  ※ なぜか文字化けしているところがありますが、気にしないでください。

 さて、次はどこへ行こうか。
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by fastfoward.koga | 2006-09-27 21:54 | 旅行けば | Comments(2)

ドアを閉める前に振り返る

 最近、部屋が散らかっていた。
 それをやっと片付けた。

 なんとなくいつも、3日以上うちを空けるときは出かけるときに部屋が散らかっていないようにと思う。
 普段はしないのに、なぜかそういうときは部屋のドアを閉める前に部屋の中を確認してしまう。
 もう帰ってこられないと思っているわけではない。
 でも、実はそう思っているのだろうか。

 ということで、数日振りに部屋を片付けたので旅に出ます。
 どうか探さないでください(謎)。
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by fastfoward.koga | 2006-09-23 23:59 | 一日一言 | Comments(8)

すきだから

 お昼を食べたあと、会社のデスクで便箋を広げた。
 ここぞというときに使っている、白い便箋と目も覚めるような鮮やかなグリーンの封筒。
 手紙を書こうと、朝うちを出るときにカバンに入れてきた。
 でも、できればこんな手紙は書きたくないなと思っていた。

 昨日の夜、21時をまわった電車のホームでぼんやり考えていた。
 わたしがしていることは、なんにもなっていないんじゃないかな、と。

 ときどき、すぽっと穴にはまるように考え込んでしまうことがある。
 昨日まではよーし! と明るく力強く自分のすることを肯定できていたのに、ふとした影を見つけてそのまま暗闇に引きずりこまれるのだ。

 この人に、これをしてあげたい。
 そういう思いで胸をいっぱいにして、人をすきになっていたことがある。
 でも別れるとき、結局人が人にしてあげられることなんてないのだと思った。
 できることじゃなく、してあげられること。
 それは、驕りじゃないのか。

 そんな思いが、胸の中に小さな固い石になってずっと存在している。
 やっかいなことに、それはふとしたときにむずむずと動き出す。
 最後は決心したことを揺るがすくらいになることもあるから、わたしはいつも、あ~あ、せっかくがんばろうと思ったのにと自分に嘆いている。

 人が人にしてあげられることがないのなら、その人と一緒にこれをしたいと思うのはどうだろうと考えたこともある。
 おいしいものを食べたり、きれいなものを見たり聴いたりしたときに、あの人にも同じものをと思うこと。
 それで少し安心して納得できたこともあった。
 でも、やっぱり、今はそれじゃ物足りない。

 急に、誰かをすきだと思ったことをどう表現していいのかわからなくなった。
 さりげなく、途方に暮れている。

 ただ、それでも、手紙を書こうと思った相手にはわかってほしいと思った。
 自分が彼女にできなかったことと、そう思ったこと、そして彼女の未来が健やかであると願っていることを。
 そんなものは伝えたところでなにも産まないのかもしれない。
 でも、結果なにも産まなくても、わたしの中に生まれた感情をそのまま誰の目にも触れないままどこかへ葬ってしまうのは悲しいと思った。
 だから迷わずに便箋に言葉を埋めて、しっかりと封をした。

 もう、すきだという思いをもてあまして墓場ばかりを作るのはやなのだ。
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by fastfoward.koga | 2006-09-22 23:04 | 一日一言 | Comments(2)

余裕と甘さのさじ加減

 数年前に受けた資格試験で、わたしは計画力と分析力はあるけれど影響力と統制力が弱いと診断された。

 影響力とは、他に影響を与える力。
 統制力とは、方針によって、おさえ取り締まる力。

 要は、分析をして計画をしっかり立てるまではいいけれど、そのあと計画がぶれたら修正がきかず、周囲に影響を与えることができないということだ。
 その評価をずっと頭に入れて、わたしは仕事をしてきた。
 ことあるごとに、計画を緻密さに自分で苦笑いし、それがぶれたときにあわてる自分にあきれ、いらついた。
 さすがに自覚しているだけではダメだろうと、この1、2年は弱みを強みにかえるべく行動してみた。
 が、強みを弱みに変えてしまい、プラスマイナス0からマイナスへ転じるというやってはいけないことをやってしまった。

 計画をきっちり立てすぎるから余裕がなくて修正できないのだろうと思ったので、計画を甘めに立てるようにしたのだ。
 余裕と甘さは違う。確実に、違っている。
 でもわたしはそれがわかっていなかった。
 だから、単にだらけたスケジュールを組んであとで苦しんだ。

 自分の中に取り込んだ情報を次に活かそうとるすのはよいところだけれど、1度下された評価に囚われてしまうのはわたしの悪いところだ。

 難しい。
 さじ加減が微妙で、その機微がうまく摑まえられない。
 なにをやっても小さい反省はする性格だからなという思いでは、どうにも気がすまない。
 力を入れないとボールは前に飛ばないし、入れすぎるとコントロールが狂う。
 こどものころソフトボールで外野を守ったときの自分が、今鮮やかに蘇る。

 今日は1日、そんなことを考えるだけで仕事が終わった。
 あ~、不毛だ。 
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by fastfoward.koga | 2006-09-21 23:18 | 一日一言 | Comments(4)

まZEPPご飯!

 昨日と今日、2日続けてZEPP OSAKAでくるりのライブを見た。
 う~、満喫。
 そう思って会場を出たけれど、今日はワンドリンクでビールを飲んだらすきっぱらだったせいか変な酔いかたをした。
 たぶん睡眠時間が短いのもあるのだろうけど。

 おかげで、余韻に浸る間もなかった。
 やっぱり大阪じゃダメだな。
 ぶらぶら歩いて、聴いたばっかりの曲をはなうたで歌ったりなんてこともできない。
 京都なら加減しながら、歩いたりお茶したりして帰れるのだけれど。
 でも、久しぶりに海風に当たったのはきもちよかった。

 曲順は2日ともあまり変わらず。
 ベストアルバムから選曲されているから、今までライブで聴いたことのない曲(のはず)、「飴色の部屋」や「ハローグッバイ」、「THANK YOU MY GIRL」なんかは楽しかった。
 逆に「ばらの花」や「虹」はやらなくて残念。

 なにを聴いても楽しいのだけれど、特に「街」は2日とも圧巻。
 会場中にいつまでも拍手が鳴り止まなかった。

 岸田くんはほどよく髪が伸びてぼさぼさで、また黒縁メガネに戻っていた。
 いい感じにだらしない。
 歌いながらきちがいみたいになるのも、よい。
 でもやっぱり佐藤くんやわ~。かっこよすぎ。
 まじまじと見つめてしまった。

 あ~、ほんま楽しい2日間やった。
 あっという間で名残惜しい・・・。
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by fastfoward.koga | 2006-09-20 23:58 | 一日一言 | Comments(6)

17歳のわたしへ

 後悔しないように、という言葉をもっともらしいと思って聞くようになったのは、いったいいくつのときからだろう。
 一生懸命思い出して、たぶん10代後半だろうか。
 それくらいにはもうすでにそんな言葉を聞いて、ふむふむと噛みしめていたように思う。
 でもそれが20代のなかばあたりから、後悔しない人生なんてないということに気づいた。
 そのときから、それじゃあ最大限後悔しないような選択をしようと思うようになった。
 これまたよく聞く、「やらないで後悔するなら、やって後悔しよう」だ。

 それが今、33になって思う。
 やらないで後悔するよりもそれ以上にやって後悔することがある、と。

 この間の日曜日の読売新聞に載っていた「本のソムリエ」。
 そこで17歳の女の子が、大人になるにつれて純粋な感性や素直さを失っていくようであせるから、歳をとることへの不安がなくなる本を紹介してほしいと書いていた。
 それに対して書かれていた答えに、寝起きで少しぼんやりしていた頭が惹きつけられた。
 書き始めはこうだ。
「純粋、素直であることはそんなに素晴らしいかしら」。
 そして、川上弘美の「古道具中野商店」が紹介されていた。

 昨日、その本を買ってきて、今朝読み終えた。
 物語の中には、不倫や性欲やうまく自分の思いを伝えきれないまだ幼い恋について書かれていた。
 17歳の女の子が読んだら世の中ってこんなものなのかと思うのかもしれないが、その倍くらいの年齢のわたしにはそんなこともあるだろうと思うようなこと。

 33年間でいろんなものを見てきた。
 たぶんこれからももっといろんなものを見るだろう。
 でも今の時点で言えるのは、人が死ぬまで純粋無垢でいられるわけがないということ。
 そして、必ず失敗があり、後悔があり、それに対抗しようと見えない凶器を持っていないといけないんじゃないかなと思う。
 ・・・ようになった。

 前にも書いた罪と罰について。
 毎日のように、思い返す。
 記憶の抽斗を開けない日はない。
 そうして、うっと思わず顔をしかめることも多い。
 なんであのときあそこでこうしなかったのだろう、といつも思う。

 それは、やらないで後悔するなら、やって後悔する、を実行していたらよかったことなのか。
 わたしは、そうは思わない。
 今のわたしの後悔は、そのもうひとつ先にある後悔だったような気がするからだ。
 やるやらないの選択の間違いよりも、選んだあとの自分の腹のくくり方が弱かったことが今の後悔の要因のような気がしてきた。
 それもついさっきなのだけれど。

 わたしはそのときの罪を背負って、一生後悔することを望んだ。
 今、その望みどおりに日々後悔のしどおしだ。
 でも、後悔で嫌なきもちになるばかりじゃない。望みどおりになったことに納得する自分がいる。

 17歳のわたしには、きっとこんなわたしは理解できない。
 33歳になったときこんな自分だとわかっていたら、そこに辿りつくまでのどこかで抵抗しているに違いない。
 でも。
 と、思う。
 満点じゃないのはわかっているけれど、そういうのも悪くないよと。
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by fastfoward.koga | 2006-09-19 23:57 | 一日一言 | Comments(8)