言霊の幸わう国

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食っても嫌い

 食べ物の好き嫌いは、少ないほうだと思う。
 グリンピース、ピーマン、蕗、ゴーヤ。
 これらはとりあえず嫌いでも口に入れられる。
 うちでの食卓ではあまり口にしなくても、よそ様の食卓ではご迷惑はかけずにすんでいる(はず)。

 でも口に入れるのも嫌なくらい、嫌いなものがある。
 セロリと火の通ったレバーだ。

 セロリは匂いと味が、火の通ったレバーはあのもそもそした歯ざわりと臭みが苦手。
 どちらも口にすると、うぇっとなる。
 よく変だと言われるのはレバー。
 レバーは焼いてなければ大すきなので、(いい生レバーは臭みがないから、ツルンと食べられる)普通は逆でしょう、というのが世間一般の意見らしい。

 その火の通ったレバー。
 昨日、何年ぶりかといくらいで口にした(よく間違えて箸をつけることがあるのだ)。

 昨日は、H嬢と石焼のお店で夕食をし、そこで注文した「おまかせ」の中にレバーがあったのだけれど、わかっていて敢えて箸をつけた。
 口の中に、血の味に似た苦味と臭みが広がる。
 あー、やっぱりあかん、と思い、お行儀が悪いけれど梅酒で飲み下した。

 すき嫌いはよくない、とよく言うけれど、苦手なものは誰にでもある。
 日ごろそのくらいのすき嫌いで困ることはないのだから、克服することもない! と、力強く、声高々と言いたい。

 みなさんは、どんな食べ物が嫌いですか? 
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by fastfoward.koga | 2007-09-30 19:51 | 往復書簡 | Comments(4)

音楽熱

 さっき、くるりのホームページで更新されている岸田くんの日記を読んだ。
 先週の京都音楽博覧会についても書かれていて、読みながらまたもや目頭を熱くした。
 雨の中、耐えて耳を澄ましただけの価値はあったなとしみじみ。

 音博に続き、26日(水)にはくるりの岸田くんがプロデュースしたCDを出したLucky Lipsも見に行ってきた。
 久しぶりに立て続けに生の演奏を聴いたせいか、音楽熱に火がついた模様。
 やっぱり生だなと、次々とライブの予定を入れ始めた。

 11月は東京参戦(今さっき、ヤフーオークションで競り落とした)。
 12月は、初のみやこ音楽祭(予定)。
 1月は、チャットモンチー。

 お財布と相談しながら、いろいろ楽しんでこよう。
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by fastfoward.koga | 2007-09-29 23:44 | 耳袋 | Comments(0)

回帰

 8年ぶりに、河瀬直美(著名は仙頭直美)「萌の朱雀」を読んだ。
 映画は見ずじまいだけれど、ページをめくるたびに、奈良の山奥、緑豊かな景色が瞼の裏に見えた気がした。

 そこは、静かな世界だった。
 感動的で激しい台詞があるわけでもなく、勢いで物語が進んでいくでもなく、そこにある日常が静謐に描かれていた。

 読みながら、日常について、考えた。

 数日間その本を手にし、ページをめくる手をふいに止め、車窓を流れては消える景色を眺めた。
 大きな川が流れ、その向こうに濃い緑の山。
 通勤途中で見るその風景が、自分が原風景だと最近思うようになった。
「萌の朱雀」で描かれていた風景は、それに等しいように思えた。

 毎日、1日も欠かすことなくくり返すこと。
 そんなものが自分にはあるのかと自問自答した。

 わたしは、寝起きする時間も、出勤時間も、会う人も、話す人も、毎日違う。
 そういう日常を望んでいるところは多大にあって、今こうしているのだということはわかっている。
 1日だって、同じ日はない。
 今日は昨日とは違うし、明日は今日と違っている。
 違っていることをよしとし、わたしは毎日を過ごしてきた。

 でも、と、ふと立ち止まった。
 そう、立ち止まったのだ。

 物語の中に描かれる日常は、澄んだ水に太陽の光が反射したときのようにきらきらしている。
 主人公みちるは、ばあちゃんと母の早起きは尊敬に値すると言う。
 いとこの栄ちゃんは、吊橋をふたり乗りでもスピードを落とさずに渡り切ることができ、山仕事のおじさんはいつもすれ違いざまに「いよーい」と片手を上げて微笑んでくれ、父は、毎朝山から引いている湧き水で感謝するようにいとおしげに顔を洗う。
 そして、皆で囲む食卓。

 決して、特別なことはない。
 毎日、当たり前のこととして描かれる挿話。
 それが、とても、うらやましくなった。

 気づくと、わたしはいつも動いたり、角度を変えたりして見えるものがないかと目を凝らしてばかりいた。
 見たことがないものを見たかったし、感じたことのないものは自分の行動範囲を広げないと手にできないと必死になっていた。
 でも今は、毎日見ようとしなくても目に飛び込む景色を見て、ここから感じるものはないのかと考えたりする。

 今年の誕生日、決めたことがあった。
 今年は新しいものを欲しがるのではなく、今あるものを大切にしようと。

 飽きたから、合わないから、と捨ててしまうのは簡単だ。
 ものによれば、すぐに新しいものを手にすることも難しくはない。
 大人になって、わたしはずいぶん高飛車で一人前のような顔をするようになった。
 たいしたことないくせに。

 と、そんな反省もしたところなので、今は手の届くところにあるものにもっと手を触れて慈しみたいと思う。
 撫でて撫でて撫でて撫でて撫でて、としつこくしていれば、いつかは光ってわたしの日常もきらきらし始めるかもしれない。
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by fastfoward.koga | 2007-09-28 23:33 | 一日一言 | Comments(0)

走る月 愛でる月

 帰りの電車。
 ふたり並びのシートの間へと足を向けながら、右か左か一瞬思案した。

 すぐに頭を過ぎったのは、左側。
 左側に座るとニコリとすることが多い、という単なる験担ぎ。
 でも今日は、そこをあえて、と右側のシートへ腰を下ろした。

 3つ駅を過ぎると、電車は地下から地上へ顔を出す。
 するとビルとビルの隙間から、白く丸い月がひょっこり顔を出した。

 あとは月とデッドヒート。
 先を行ったり、後になったり、時には肩を並べて歩くように月と帰宅した。

 今はずいぶんと空高く上がった月も、追いかけっこの最中はうさぎの姿がはっきり見えていた。
 なんとなく口角が上がる眺め。
 ふふふと、思わず心の中で笑みを洩らした。

 こんな綺麗な中秋の名月を見ずに眠るとは。
 不届き者めが。
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by fastfoward.koga | 2007-09-25 23:23 | 一日一言 | Comments(0)

変わり目

 今朝は、出勤前の時間のないときに着てゆく洋服に迷った。
 半袖では早朝は寒い、でも長袖では昼間は暑い。
 どーすんねんと、イマイチ納得できないまま、とりあえずの洋服で出かけた。
 おかげで、1日気分は冴えなかった。

 さっきお風呂上りに、三面鏡の前でこれまた髪を伸ばすか切るかを迷っていた。
 切るなら今までどおり、でも伸ばすとしても少しだけ。
 どっちにしてもたいしたことはない。

 でも、たとえ結果が半歩でも位置を変えたい。
 服も髪も、9月24日という1日も。

 外では、雨がぼつぼつという音をたてて降っている。
 明日の朝にはやむらしい。
 この時期の雨は、ひと降りするたびに季節が変わる。

 そろそろ、バトンタッチしてもいいころでしょう。
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by fastfoward.koga | 2007-09-24 22:17 | 一日一言 | Comments(0)

長かった半袖の季節

 いったいいつになったらこの暑さは過ぎ去るのか。
 9月はあと1週間で終わるというのに。
 と、思っていたら。

 今日は、京都・梅小路公園で開催された京都音楽博覧会に行ってきた。
 くるりが京都でフェスを、と仕切りに仕切った音楽祭。
 暑さと日焼け対策を、とだけを思って出かけたのに、2度も雨に降られた。

 レジャーシートを広げ、無理矢理雨を凌いでトリのくるりの登場を待った。
 ジーンズも、ワンピースの裾も、靴も、髪も、腕もびしょ濡れになった。
 coccoも、小田和正も、もちろんすごかった。
 でも、とにかくくるり、と耐えて待った。

 体の重さと反比例して、音楽は跳ねに跳ねた。
 メロディにつられるように雨は小雨になり、そして時には大粒の雨をリズミカルに地上に降らせた。
 おかしかったのは、隣にある梅小路蒸気機関車館から聞こえる機関車の汽笛。
 ちゃんと響いている音楽にタイミング合わせて、鳴っていた。

 そんな京都らしいほのぼの感も醸し出しつつ、時間は進む。
 やっと2度目の雨がやみ、トリのくるりがステージに登場するころには、西の空には雲の隙間からオレンジの光が見え、東の空には京都タワーのライトが点灯していた。
 暗さは増してゆき、ステージの照明が急に映え出した。

 途中、何度か目頭が熱くなった。
 じわんと湧いて出てくるものがあった。
 雨と同じように、音がつつつと染み入るような。
 そして、時折ステージから目線を左に動かすと、そびえ立つ京都タワーの静かさにまた胸がじわんとした。

 ステージからくるりの姿が消えたのを見届け、ほーっと一息ついた。
 ぼちぼちと京都駅へと歩きながら、右手で左の二の腕に触れると肌がひんやりしていた。

 やっと半袖の季節が、終わる。


追伸 : お付き合いいただいたnaminichidoriさん&おともだちのIさん、そしてcmykayo2さん、ありがとうござ
     いました!
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by fastfoward.koga | 2007-09-23 22:36 | 一日一言 | Comments(8)

尾道へ 5歩目

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 尾道に行くと、必ず行く場所がある。
 それは、千光寺さん。

 千光寺さんに行ったら、まず本道にお参りして、そのあとおみくじをひく。
 ここのおみくじは、中に小さな七福神が入っている。
 おみくじの結果はもちろんだけれど、どちらかと言うとそちらの方を楽しみにしている。
 と言うのも、七福神のうちのどの神さまが自分の元にやってくるから開いてからじゃないとわかならいからだ。

 今まで尾道を訪れること、6回。
 そのうちおみくじをひいた5回でわたしのところへやってきた神さまは、毘沙門天がふたり、福禄寿がひとり、そして大黒さんがふたり。
 名前の聞き慣れた布袋さんや恵比寿さんに会いたいなと思うのだけれど、これがまたなかなかお目にかかれない。
 今回も期待をして薄い緑の包みを開いたけれど、中から出てきたのは大黒天だった。

 少し残念に思いながら、包みに書かれた大黒さんについて記された言葉を読んだ。

「家の中には大黒柱、又その家を支える人を大黒柱というように人々の願望をたのもしく引き受けて、成就させてくださるのがだいこく様です」

 なぜかそこで、頭にいつもの職場の映像が頭に浮かび、わたしは自分の元に大黒さんがやって来た理由がわかった気がした。
 頼れる存在になれ、と言われたのだろうか。
 そう思ったのだ。

 力強く、力強く。
 言葉どおりたのもしくなれるように、大黒さんがついていてくれる。
 と、信じて、今は小さな金色に光る大黒さんを財布の中に忍ばせている。
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by fastfoward.koga | 2007-09-21 11:53 | 旅行けば | Comments(2)

ⅹを求めて

 仕事場で見ていた夕方のローカルニュースから、「彼岸なのにまだ真夏のような暑さ」という言葉が耳に飛び込んできた。
 そうか彼岸かと、仕事が終わってからすきな人にその言葉を使って携帯メールをうった。

 と、ふと、そこでここ数週間つむじ風に弄ばれたままになっていた、腑に落ちないことに合点がいった。
 その、あ、なあんだという思いと同時に、胸の中の重りがすっと消えた。

 理解をし、納得をする。
 それは、なんときもちを軽やかにするのか。
 どんな困難なものごとも、最後に合点がいきさえすれば、わたしは乗り越えて生きてゆけるだろう。
 そう思えるくらい、合点がいくということはすごいこと。

 ずっと自分が探しているのは答えだと思っていた。
 答えさえわかれば、いいと思っていた。
 でも実は、わたしは、答えよりもそこへと導いてゆく過程に惹かれていたのだ。

 高校生のころ、文系のくせに数式を用いる数学の問題がすきだった。
 ひとつの方程式を覚えるだけで、いくつもの問題をスラスラ解くことができるあの楽しさ。
 たぶん、わたしが求めていたのはそういうものだ。

 わたしが思い描いている答えというものは、ひとつの謎に対してひとつではないのかもしれない。
 どれもが正しく、どれもが違っているような気がして、謎の本質まで辿りつけないようなことはきっと山ほどあるだろう。

 それでもわたしは、ああでもないこうでもないとぶつぶつ言いながら、知りうるだけの方程式を使って答えを導き出してゆきたい。
 答えの正しさよりも、過程の芯の強さを、まっすぐさを、ぎゅーっと手の中に握りしめたいと思う。
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by fastfoward.koga | 2007-09-19 22:49 | 一日一言 | Comments(6)

見栄の洗濯

 わたしは、自分を人見知りだとは思わない。
 でも、つまらない見栄をはっている間はまだ相手との隔たりはあるなと感じる。

 今日も、またどうでもいい見栄をはってしまった。
 地下鉄を待ちながら、そのつまらなさに葛藤した。
 葛藤しながらどんどん横道にそれ、ドツボに片足ががっつりはまった。
 馬鹿馬鹿しい、でも馬鹿馬鹿しくない。
 二層式の洗濯機の中でいくつもの洋服がからまるように、ぐるぐると思考が渦を巻いてこんがらがった。

 書くことについて、考えた。
 ブログを初めて1年目は、ただ書くことができる、そのことが楽しくて仕方なかった。
 2年目は、書くことでしか救えない思いがたくさんあった。
 そして今年はというと、書くことに迷いが生じ始めた。

 なにが、1年目、2年目と違っているのか。
 1番違っているのは、書くことに制限をつけていることだ。

 読む人との距離が変化してきたこと。
 書く内容と使う言葉に対するマンネリ感。
 そして、正直に書くことが正しいのかどうかの、迷い。
 そういうことが、書くことへのブレーキになってキーボードを打つ手を止めてしまい、手を止めることが言葉が湧き出ることをも止めてしまう。

 3年目に入って、思ったことをなんでも書き記すことがいいとは思えなくなってきた。
 ものごとを難しく考えてこねくり回すのはわたしの悪い癖だけれど、これも書くことを継続する中で出てくる当たり前の壁なんじゃないのかと、自分では思う。
 きっと、いつか霧がさっと晴れるようにこの迷いも消えてなくなる瞬間がやってくるのだ。

 馬鹿馬鹿しい見栄の渦にあっぷあっぷしながらも、脱水されたあとの洗濯層の中に答えをひとつ見つけた。

 ブログを初めたころに、書くことに嘘はない、とここに記したことがあった。
 それと同じく、書いたものの中に見栄を入り込ませてはならない。
 迷いながら書いたとしても、それは絶対。
 そこだけは、なにがなんでもぶれないように。 
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by fastfoward.koga | 2007-09-18 22:58 | 一日一言 | Comments(4)

磨耗

 2日間の休みを、ほとんどうちから出ず過ごした。
 ぼわんと。

 それほど仕事のことを考えていたわけではない。
 でも、毎晩のように仕事の夢を見ている。

 なにがどう、ということではない。
 でもちょっときもちの芯になる部分が、ちょっと磨り減っている。

 ぽきんと折れたりはしないことを自分でも知っている。
 から、大丈夫。
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by fastfoward.koga | 2007-09-17 23:01 | 一日一言 | Comments(0)