言霊の幸わう国

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ブイブイ

 ちょっとトーキョーへ行ってきます。

 ブイブイ。
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by fastfoward.koga | 2008-10-31 20:10 | 一日一言 | Comments(6)

「モダンタイムス」と出会う

 電車に乗る前、数秒迷った挙句(挙句でもないか)伊坂幸太郎の最新刊「モダンタイムス」を買った。
 発売から数日で増刷となった、という新聞広告の謳い文句に心動かされて、平積みの1冊を手にした。

 が、しかし。
 なんじゃこりゃ、という厚さ。
 中を見ると字がでかい。
 ところどころにイラストが描かれている。
 よく見ると帯に、「『モーニング』発の初小説!」と書かれ、その端に「挿絵完全収録特別版」と記されていた。
 そして裏を返して値段を確認すると、「定価:本体2700円(税別)」。

 えーっと心の中でぼやきながらも、手はそのまま足はレジへ。
 あとは待ちきれず、ホームでページを捲った。

 シートに腰を下ろしても、もちろんそのまま読み進めた。
 やっぱり字はでかいし、装丁はイマイチだし、イラストはいらないと再び思いながらも、あとで飲もうと思っていたジュースのこともすっかり忘れて文字を追っていた。
 
 読み終わるまで、この線路を何往復してもいいとさえ思った。


 追伸 : わたしが買ったのは「モダンタイムス」の特別版だった模様。
       これしか本屋にはなかったから、間違えたわー。もー。
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by fastfoward.koga | 2008-10-28 21:50 | 一日一言 | Comments(3)

言い換えれば

 予測の範疇ではあるものの、仕事が忙しくなってきた。
 でもまだいろんなものを犠牲にするほどではない。
 でも犠牲にすることがでないように、神経はすでにピリピリしている。

 狭い職場の中で、深呼吸ができる場所は少ない。
 大げさでない、するっときもちが1枚脱ぎ捨てられるようななにかを身につけたいなと、息が詰まってくると思う。

 カレーが食べたいなと思ってうちに帰ったら、夕飯がカレーだった。
 おいしーと、食べた。
 そういうんで、いいんだけどな。

 ま、言えば、それってメール1通分くらいのもんなんだけどな。
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by fastfoward.koga | 2008-10-27 22:36 | 一日一言 | Comments(4)

独立した痛み

 昨日は寝る前から、肩凝りとそれからくる偏頭痛がしていた。
 夜中何度も寝返りをうって、ズキズキする痛みを騙し騙し、朝を迎えた。
 一瞬目が覚めるたびに頭痛薬を飲もうかどうか悩み、寝ればなんとか痛みは取れるんじゃないかと、起き上がることはしなかった。

 痛みに耐えるべきだと、いう考えが頭の中にあった。
 耐えうるならば、なおのこと。

 けれど結局、朝小さなパンをお腹に収めたらすぐに頭痛薬を2錠飲んだ。
 このままでは仕事ができないと判断したから。

 最近、少し痛みに敏感になっている。
 ような、気がする。
 痛みを負うのはやっぱり嫌だと思い、でも負わずにすむわけもないかと思い直し、だったらせめて痛みを軽減できるようにはならないかと考え方を変更した。
 よく言う、転び方を学べ、だ。


 先日から、村上春樹を読み返している。
 それは、2ヶ月ほどでやってくる欲求のサイクル。
 でも今回は持続性があるようで、まずは「ダンス・ダンス・ダンス」を、そして数日前に「羊をめぐる冒険」を読んだ。
 なんの気なしに「ダンス・ダンス・ダンス」を本棚から取り出し、気になって「羊をめぐる冒険」を読んだのだけれど、所謂「僕と鼠もの」であるふたつの作品は、主人公の「僕」の数年間が描かれている。
 今回わたしはそれを結果出典を遡って読むことになり、いつもは独立した作品として読んでいたので、初めての読み方の中で「僕」に対して違和感を感じた。
 その違和感は、そうか「僕」は同じ人なのだ、と改めて認識するところから始まり、「ダンス・ダンス・ダンス」で感じたまさにダンスのステップのような軽やかさに反して、「羊をめぐる冒険」では痛々しさを感じた。

「羊をめぐる冒険」のエピローグで、「僕」が泣くシーンがある。
 あまり描かれない泣く描写。
 眠りにつくほんの少し前に読んだそのページを、わたしは、押し寄せる感情の波をそっと睡魔に変えてしまおうと、閉じた。
 その息詰まるように感じたものが「ダンス・ダンス・ダンス」にはなく、それはもちろん作者の意図でもあるのだけれど、それとは別にわたしは「僕」が30歳というラインを越える前かどうかが違いなのかなと思ったりした。
 それというのは実は超えてみるとどうってことのない、ひとつの時間の流れなのだけれど。


 と、そんなところから端を発し、数日間時流というものについて考えていた。
 わたしも自分を「僕」のように遡って読むことができたら、痛みとの向き合い方も変わるのかなと。

 現実の世界の中でそれはありえないと、もちろんわかっている。
 でも自分の過去を記憶以上の形で読めたら(見るではない)、経験も違った認識ができ、痛みの度合いも嵩を変えるのではないかと考察してみたりするのだ。
 
 先日書いた「腑抜け」の一件で、わたしは久しぶりに自分のことで泣いた。
 それは悲しみからのものではないけれど、でもテレビのドラマやドキュメンタリーを見て流すものとは違うと感じていた。
 泣く準備なのか、泣かない準備なのかは判別がまだつかないものの、これから自分に起こる、いや起こすことに意識がかなり傾いて、若干神経質になっている。
 どうやったらそれをうまく乗り越えられるのか。いや、ほんとうは、どうやったらうまく転べるのかを考えているのだ。

 でも過去を振り返っても、どれも次にくる痛みとは違っているような気がする。
 どれもがそれぞれの痛い記憶として、残るのだ。
 だったら、頭痛を我慢するくらいではなんの足しにもならないと今気づいた。
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by fastfoward.koga | 2008-10-26 19:46 | 一日一言 | Comments(0)

腑抜け

 昨日、数ヶ月遅れのバースデイカードと1通のハガキをもらった。
 どちらも手書きで、短い文章の中に込められた思いを確かに感じとった。

 日ごろから、お礼と謝罪をするべきところでは出し惜しみしないように気をつけている。
 ありがとう、ごめんなさい、すみません。
 1日にいったいどれくらいの回数言っているだろう。

 でもふと、もらったばかりの直筆の文字を思い浮かべて、自分の心がけていることはおかしくないかと自問した。
 
 言うだけで、義理を果たしたと思っていたところはないか。
 言うことで、自分が気分よくなっていただけではないか。
 
 その問いにわたしは、おっしゃる通り、器だけ整えて中身のない言葉をたくさん発していただけのように思うと自答した。

 ありがとうとか、おめでとうとか、がんばってるとか、そんな温かい言葉を掛けてもらえるようなことなどなにもできていない。
 常々言葉を軽々しく扱わないようにと言いながら、やっていたのはその程度のこと。
 自分がいかに奢り高ぶっていたかと振り返ると、情けなくなった。

 言葉と真摯な思いで向き合います。だからどうか見捨てないで。
 と、誰に問いかけているのかもわからぬまま、今こどものようにベソをかいている。
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by fastfoward.koga | 2008-10-23 22:28 | 一日一言 | Comments(2)

青白い炎

 怒りというのは、ほんとうはこういうものなんだなと思った。

 上司を前にし、決して声を荒げることなく言いたいことを言い、でも口にまだしていない脳の中で言語変換している言葉を認知したところで、複雑な自分の思いを自分でドンと引き受けたそのとき。
 怒りが沸点に達した。
 感情がお腹からこみ上げてきた。
 そこでわたしは黙った。
 間など怖くない。
 それより口を開いて、取り返しのつかない刃物のような言葉を吐き出さないようにするほうがよっぽど賢いと判断した。

 青白い炎のほうが赤のそれよりも熱いのと同じ。
 静かな怒りは、真の怒りだ。
 
 しばらく燻る。
 燻るぞー。
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by fastfoward.koga | 2008-10-21 22:20 | 一日一言 | Comments(2)

オーレ!

 先月、本棚の上のさらにまた奥のほうから取り出したジャン=フィリップ・トゥーサンの「浴室」。
 フランス文学を読むなんて後にも先にもこれ1冊だったんじゃないかと、再び読み終えたあと振り返った。
 買ったのは、20歳の大学生のときだった。

 買ったときのことは、よく覚えている。
 印象に残る装丁で、気になりながら外国文学というとっつきにくさを初めは打ち消すことができず、何度目かの本屋でやっとレジへ持っていったのだ。
 どんなものかと読み始め、おもしろさがわかるようなわからないような、読み終えたときはもやっとしたきもちになった。
 今回再び読み終えて、下手なミステリーやケイタイ小説のように次から次へと事件が起こるだけで話が終わってしまうのではない、淡々とした中にある抑揚におもしろさを感じた。

 例えばそれは、浴室で暮らし始める主人公が雨の眺め方について描写する場面。

「(33) 家にいて、外で雨が降るのを窓越しに眺めるには、二種類のやり方がある。第一の方法は、空間の任意の一点に視線を定めて、その場所に降り続く雨を眺めることである。このやり方は、精神にやすらぎを与えてくれるものだが、雨の運動の行き着くところを知る役には立たない。第二の方法は、視線をより柔軟に動かして、一粒の雨滴の落下を、それが視野に入った時から地面で砕ける時まで、ずっと目で追う、というやり方である。この方法によって、運動とは、一見どんな目にもとまらぬ速さであれ、本質的には不動の状態を目指すものであり、従って、どんなに緩慢な動きと見える時でも、絶えず物体を不動の状態、すなわち死へと導くものである、ということを心に思い描くことが可能となるのだ。オーレ。」

 物事を遠く近く視点を変え、どうすればどのように見えるのかを真剣に考える。
 いつしか、そこにおもしろさが見出せるようになった。
 1993年に背伸びして買った本と自分に、小さく喝采。
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by fastfoward.koga | 2008-10-17 23:40 | 一日一言 | Comments(2)

 昨日日が暮れてから、今朝太陽が昇りきるまで。
 ずっと空には丸い月があった。

 時には煌々と輝き、時には白々とし。

 その丸さと大きさと輝きに、少しきもちが動かされた。

 さあ、今日も1日が始まる。
 空が、底抜けに青い。
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by fastfoward.koga | 2008-10-16 08:32 | 一日一言 | Comments(2)

うすら寒い雨の日のバス停にて

 雨の降る中、バスを待っていた。
 腕の時計を見ると、5分以上遅れていた。

 昔はほんとうにバスを待つのが嫌だった。
 時間の無駄遣いをしているようで、いつ来るともわからない当てのないものへの思いをバス停で持て余していた。
 自分でコントロールできない。
 それがとにかく嫌だった。
 時間がかかっても、体力が必要でも、高校生までは片道20キロほどあっても自分で自転車を漕いでいるほうがマシだった。
 高校を卒業したらすぐに原付、その年の夏休みには車の免許を取った。
 だから、バスに乗るのは雨の日くらいだった。

 バスを待つ、というキーワードで記憶に検索をかけると、今日のような肌寒い雨の日を思い出す。
 足元からせり上がってくる寒気。
 腕の裏側あたりに感じる寒気。
 それらを感じると、首元やお腹のあたりもスースーし始めて、そうなるともう気分がうんざりした。
 肌寒さが、バスを待つ憂鬱にさらに輪をかけるのだ。

 バス停でそんな記憶を掘り返していると、ここ数日感じていた心細さを自覚した。
 肌寒いからドアも窓も閉めたいのに、いつやって来るかわからない人をニュートラルなきもちで迎えるためにそれができない。
 憂鬱になって、心細くて、最後は寂しいなと思って。
 すべての扉を閉めてしまいたい衝動にときどきかられながら、途切れ途切れ心細さを認めたらほんの少しの間だけ固くなったきもちが緩んだり。

 バスに乗るだけで、そんなことをぐるぐると頭に巡らせていた。
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by fastfoward.koga | 2008-10-14 21:05 | 一日一言 | Comments(0)

小学生気分

 夏の終わりごろから、ぼちぼちエンジンのかかり始めた切り絵。
 ちまちまと折り紙を折り、ハサミ片手にチョキチョキやっている。
 
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 折り紙とハサミ。
 その組み合わせに、気分は小学生。

 こういうことに手を出すと、つくづく性格が出るなと思う。
 細かい作業に対する集中力、手順の決め方、手際の良さ。
 自分のやり方を反芻して、そこで己を知る。

 と、やってる最中はややこしいことを考えているけれど、出来上がったらその仕上がりに小躍りしている。
 人には見せられない、ちょっとおばかさんな姿。
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by fastfoward.koga | 2008-10-12 21:14 | 一日一言 | Comments(14)