言霊の幸わう国

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利休七則

 今月の初めに、スクーリングで「茶の湯」の授業を受講した。
「煎茶」とどっちにしようか迷って、こっちでいいか程度で選択したものの、1日目の授業、2日目の美術館巡りで意外におもしろいかもと思い始めた。
 そこに出されたスクーリング後のレポート課題が、「茶の湯の『美』について」。
 ベタなテーマだが、それだけにほんとうに思っていないことは書いても伝わらないなと、学生のわたしは書き始める前から思っていた。
 でもその一方で社会人のわたしは、忙しいんだから、1000字くらいのレポートなんてちゃっちゃと書いて次の課題に行けよ、とまるで天使と悪魔のような声が聞こえ、結局2週間ほどうだうだしたあと、なんのために今学んでいると思っているのか! と一蹴し、図書館で参考文献を探し回った。
 そして千利休について書かれたものや、『初歩の茶道』などという古い教科本を借りて帰ってきた。

 テキストと合わせ、どれも読み始めるとおもしろい。
 茶の湯が禅宗の教えを汲んでいるからだろうか、くさくさしがちな今、水が沁みるようにその教えが頭に入る。
 そんな中でも、1番胸に残ったのは「利休七則」だった。

 これは、弟子のひとりから、茶の湯で心得ておくべき最も大切なことはなにかと問われたとき、利休が答えた七つの教えである。

「茶は服のようきように点て、炭は湯の沸くように置き、花は野にあるように、さて、夏は涼しく冬は暖かに、刻限は早めに、降らずとも傘の用意、相客に心せよ」
 
 以上が、その答え(教え)なのだが、どれも当たり前と言えば当たり前のことばかりで特に難しいことはない。
 がしかし、実際7つをちゃんとやろうとすると、それは違うとすぐに思い当たる。
 要するに、礼儀と強い精神力を身につけ、生命、自然と尊び、相手を真心で持ってもてなしなさいと利休は言っているのだが、それらをできることだと思うことと、すべてやりきることとは雲泥の差があるのだ。

 そこでわたしはここ数日だけを振り返ってみても、秋の稲穂のように頭を落とすばかり。
 うーん、後世に残る言葉は意味と価値がある。そしてその分、重い。

 どうも伝統芸術は格式ばって敷居が高く感じるが、きっとやってみると興味深いんだろうなとまで思うようになった。
 いつかはやってみたい。
 でも今は、いろんな余裕がなさすぎる。
 こうやって、きっかけを失ってしまうのかもしれない。
 いやいやでも。

 という葛藤をくり返し、教科本だけ買っておこうかなと思うのは、お茶を濁しているのだろうか。
 ・・・おあとがよろしいようで。
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by fastfoward.koga | 2009-09-30 22:41 | 一日一言 | Comments(2)

その日

 物心ついたころから、ときどき穴に落ちる日がある。
 そういうときは朝から違和感があって、なんとなく人の輪の中でももぞもぞして、ひとりになりたいなと実際なったらそこからはもう坂道を転がるように、ストン。
 それはもう、自分の力など発揮する隙もない。

 昔は、それもずっと昔は、落ちるのはいやだと抵抗もした。
 でも大人になるにつれ、あぁまたあれがきた、と落ちてしまうことを黙って受け入れるようになった。
 1日、いや1晩だけかかる風邪みたいなもんだと、学んだのだ。
 それからは、そういう夜は夕飯を食べたあとはひとり部屋にこもって、わーんと泣いた。
 文字どおり、わーん。

 部屋の扉を閉めるととたんに涙が出て、たいていは電気もつけずにじーっと座って、涙を絞り出すように流した。
 音楽をかけることもあったけれど、そういう場作りなどほんとうは必要なく、逆に家族のたてる物音を聴いているほうが寂しさが募ったものだ。
 10代のころは、そういうとき、なんて自分は孤独なのかと真剣に思っていた。

 大人になって少しは処世術を身につけたのか、だんだんそういう夜も、するりとかわすことができるようになった。
 今はもう、この間がいつだったのか思い出せないくらい訪れていない。
 大泣きなんて、失恋したときくらいだ。
 それ以外で、しかも理由もなくわーんなんて泣くことはない。

 でも、今日はその日だった。
 朝からきもちがくさくさして、そういう自分にまたくさくさして、だったらこれ以上くさくさしなけりゃいいのにとくさくさする悪循環にはまっていた。
 自覚はあったのだ。
 でも、自分ではその日だとは気づいていなかった。

 気づいたのは、ぼーんやり、駅からバイク置き場まで歩いて信号待ちをしていたときだ。
 向こうから春から通い始めた美容室の男の子が歩いてくるのが、見えた。
 その子には一度も接客してもらったことはなかった。
 わたしは、きっと黙って通り過ぎるだろうと思っていたからこそ、通り過ぎる前に、暗い横断歩道の前でその子に視線を送ったのだ。
 そうしたら彼はわたしに気づき、少し首をすくめて「こんばんは」と声をかけてくれた。
 でも、驚いたわたしはの「こんばんは」は喉の奥で鳴っただけで、笑顔を作って見せるのが精一杯だった。

 それだけのことで、ほおっと体の力が抜けたのがわかった。
 そして、じわじわとあとからあとから、今日がその日だったのだと気づいた。

 今でも部屋の灯りを消して、パソコンの電源も落として、イスの上で膝を抱えたら、準備完了と泣けそうだ。
 でも今夜は泣かずともよい。
 孤独も寂しさも、喉の奥でもうすっかり消えてしまったのだから。
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by fastfoward.koga | 2009-09-29 22:06 | 一日一言 | Comments(0)

かざりっけナシ

 昨日は、中学時代のクラブの恩師と仲間たちで飲んだ。

 お酒弱くなったわあと、大人はまず予防対策。
 4歳からの友人K嬢のいるお店でまずウコンの力をみなで1本ずつ飲み、結局お店を出たのは2時。
 ウコン1本ですむわけはなく、結局今日は1日ゴロゴロして過ごした。

 ほんまよう喋った。
 最近記憶力が悪くなったとよく言うてるけど、みんなと話していると次々と泡のように記憶が浮かび上がってきた。
 あれもこれもと思いついたまま口にすると、先生からも仲間からもよう覚えてるなあと言われた。
 
 今中学校は建て直しに入って、わたしたちが使った校舎は取り壊されるらしい。
 クラス数もぐんと減り、自転車通学のこどもたちはみなヘルメット着用が義務付けられた。
 当時はセーラー服だった制服も数年前に変って、町でそれを見かけても未だにどうも違和感がある。
 それでもみんなで話をすると、同じ映像がみんなの頭の中に現れるんやろう。
 そういうのは、それぞれの目を見てるとわかる。

 今朝になって、先に帰ったE嬢からメールが届いた。
 彼女と会うのは4、5年ぶり。
 送られてきたメールには、わたしと話すのは楽しい、刺激を受けますと書いてくれていた。
 わたしは、昔となんも変らへん彼女の様子に、すすすときもちが馴染んでた。
 互いに違う感覚を抱いてたけど、心の底からまた会いたいと思えたんはきっとおんなじやと思う。

 仕事が忙しいのに来てくれたM嬢、ひとり忙しく働きまわって接客してくれたK嬢、そして遠く離れたトーキョーからメールをくれたY嬢。
 みなそれぞれ違う時間を、でも並行して、これからも過ごしてくんやろう。

 幼い自分を知られてるというのは弱みでもあり、強みでもある。
 自分の中の素を、さらけ出せるってすごい。
 ただひたすら、そのことに感謝!
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by fastfoward.koga | 2009-09-27 23:10 | 一日一言 | Comments(2)

備蓄家

 大学に行き始めて、思うことはただひとつ。

 もっと学生のときに勉強しとけばよかった。

 会社の子に「ドラクエやんない?」と聞かれて、「やりたいのはやまやまやけど、時間がないなあ」と返した。
 よく考えると、学生のころは勉強ばかりを毎日朝から夕方までやっていたのだ。
 なんて幸せな時間だったのかと、今さら思う。
 で、その合間にドラクエとかファイナルファンタジーとかやるんだよ。
 いいよなあ。

 うー、それって憧れる~なんて悶えそうだが、学べることが、学べる場があるということは幸せ。
 そういう意味ではおバカでよかったのだ。
 昨日とおとついのことがごっちゃになっても、ふいに今日が何日の何曜日か忘れても、どこかに新しいものを蓄えられる場所は残されている。
 
 大人は大人のやり方で勉学に励むのだ。
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by fastfoward.koga | 2009-09-26 00:35 | 一日一言 | Comments(4)

為せば為る為さねば為らぬ何事も

 昨日は早い時間から寝支度を始めたのに、うまく寝付けなかった。
 体は疲れているのに、頭だけがぱちりと目を開けているような感じ。
 仕方なくいつもより長く、粘って粘って、手にしている本を支えきれなくなるまで灯りは消さなかった。

 そのせいなのか、夢を見た。

 誰かともだちを助手席に乗せ、車を運転していた。
 細い抜け道に入ると、以前通ったときとは印象が違いどんよりした暗さを感じた。
 脇には古いアパートがあり、その前にひとりの女性が赤い自転車を止めたので、倣って自分もブレーキをかけたけれど車は速度を落とすことなくゆるゆると進んだ。
 力いっぱい、これ以上踏めないというところまでブレーキペダルを踏んだが、車は止まらなかった。
 どうしようとあせっていると、自転車にコツンと車の鼻先がぶつかった。
 自転車が傷ついたり、ケガをさせた様子はない。
 どうしようととにかく平謝りすると、女性は感情を表に出さず、別に構わないと素っ気なく言った。
 わたしはそれでも気が済まず、しばらくは、いやでも、ともたもたしていた。
 でも女性の態度は変らない。
 それじゃあ、と車を出しかけ、でも最後に誠意を示そうとして、これからは充分気をつけますと言うと、女性はそうしたほうがいいねと言った。
 そのひと言が冷たく感じ、矢のように胸に突き刺さった。
 再び車を走らせると、やはり前とは道は違っていて、ともだちとそのことを確認し合うと少しだけ気が楽になった。


 夢に登場した気になるものをキーワードに夢占いをしてみると、ことごとく運気の低下を暗示しているという結果になった。
 書きながら、そういえばブレーキがかからなくてあせる夢をここ数年よく見ていることに気づいたが、それは感情が高ぶっていることを現わしているらしい。
 感情もいろいろあるけれど、自分ではなにを指しているのかすぐわかった。
 
 不安癖。
 それってなかなか直るものじゃあないんだな。

 でもじっとしてても、不安は嵐のように去ってはいかないこともある。
 待っている時間は今はない。
 とにかく、這ってでも前に進みたい。
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by fastfoward.koga | 2009-09-24 19:47 | 一日一言 | Comments(3)

ワンダーランド

 京都府南部の本日の降水確率は40%。
 3日前までは週間天気予報で雨マークなどなかったのに、それは突如として現れた。
 今年もまた雨の心配か。
 そんな思いで、今年の京都音楽博覧会は始まった。

 3年目の京都音博。
 くるりのふたりは合言葉のように、「二度あることは三度ある」と「三度目の、正直」をオープニングで口にした。
 そう、3年目やという思いはわたしの胸にもあった。
 数週間前から、気負わず気楽にと、ただのオーディエンスのわたしでさえも思うほど、音博への思い入れは大きいのだ。
 
 今年も着流し姿のくるりふたりが開会宣言。
 その後は、トップバッターのふちがみとふなと。
 曲が始まると、ごめんなさーいと言いながらお腹を満たすためにフードコーナーへ。
 そのままのんびり過ごしていたら、次に登場したBEN KWELLERはその姿を見ることもできず、ステージはすでに3組目の矢野顕子のためのピアノのセッティングが始められていた。

 やっとそこから腰を落ち着け、本当の意味での音博スタート。
 このあとはもううろうろできひんでーというメンツとタイムスケジュール。
 さあのんびりさせてもらいましょか、とまずは矢野顕子の登場を待った。

 拍手に迎えられ出てきた彼女は、鮮やかな黄色いノースリーブで登場。
 段々になった大き目のレースは、揺れる体と時折吹く風になびいてきれいだった。
 そしていつもの、零れ落ちそうな満面の笑み。
 ステージ上に設置された大画面にその笑みが映し出されると、ああもう勝たれへんなあと思う。
 思わずつられて、笑顔にはならずにはいられへん。

 彼女が叩く鍵盤からツンとした音と、高音の声が外に放たれる。
 それが目を凝らすと見えるような気がして、耳を澄ましながらステージより少し上あたりをじっと見つめていた。
 よくとおる特徴的なあの声は、放出されるとすぐに空気に馴染まずラインとなる。
 いくつも引かれるそのラインは放射線状に描かれ、伸ばしきったところでぼわーんと滲むように境界線を失くしていつしか半円形になる。
 そういうのもオーラというんやろうか。
 淡い色つきの空気が、彼女の周りを包んでいた。

 曲はバラエティに富み、惜しみなく音楽を奏で歌った。
 その中に、今度発売されるくるりのトリビュートアルバムに収録されている『Baby,I love you』が含まれていたが、これまた『ばらの花』同様、ものすごい独自解釈で原曲はちらりと垣間見られる程度。
 相変わらずおもろいなあと、そんなことも微笑ましかった。

 次に登場したのは、実は密かに楽しみにしていたBO GUMBO3 feat.ラキタ。
 ずっと昔京都で活躍したBO GOMBOSのオリジナルメンバー3人と亡くなったボーカルのどんとさんの愛息ラキタを加えたという、世代を超えたすごいバンド。
 THE BOOMの『BOOMANIA』にラキタのボーカルで収録されていた『月さえも眠る夜』を以前耳にしたことがあり、その声を生で聴けるのを楽しみにしていたのだ。
 6曲ほどの中で、ラキタがボーカルをとったのは1曲だけ。
 でも親子ほど歳の違うメンバーに囲まれ、大勢の観客を前に緊張した表情が初めにちらりと見えた気がしたものの、彼は力強く歌いきった。
 なんにも持たず、裸で、どーんと扉を開けるような感じ。
 初めは若いっていいなと思ったけれど、あとで思い直した。
 あれは若さの持つ力ではなく、彼自身が持つありのままの自分を飾ったりせずそのまま出せるからできることなのだなと。
 彼にはこれから、もっともっと歌ってほしいと思う。


 ゆったり進む時間を楽しみながらも、頭の上は相変わらずどんより。
 何度か雨粒にびくりと反応したけど、本格的に降り出しはせず。
 なぜかわたしは、民生(奥田民生)が歌い始めたら降るんちゃうか、と思っていた。
 まるで去年の小田さん(小田和正)のように。

 でもそんな心配はただの取り越し苦労で、「AC/DC」と書かれた白いTシャツに、頭にタオルを巻いて民生はひとりゆっくりと登場した。
 今日はアコギ1本。
 広いステージの真ん中に座り、咳払いを2度ほどして『さすらい』からステージは始まった。
 3曲目はステージに岸田くんが呼ばれ、『息子』を、そして期待どおり、続いてトリビュートに収録された『ばらの花』を並んで歌った。
 そりゃもう2曲とも圧巻。
 手で口を覆っていないと、感嘆の声とともになにかが飛び出そうやった。
 そして高揚しているのは岸田くんも同じだったようで、ときどき大画面に映る表情がうれしそうなことうれしそうなこと。
 見てるこっちも微笑ましくなるほどで、岸田くんにとって民生はスーパースターなんやなあと思った。

 今日の民生の声はほんの少し鼻声のような気がした。
 でもだんだん気にならなくなり、声はあとからあとから伸びていった。
 大画面に左斜めから映された顔が現れ、同時にその声に耳を澄ますと、この人の体は声そのものだと思った。
 歌いだすと、全身が声になる。
 何年経っても色あせないその声に、立ち尽くし脱帽していた。
 天晴れ、民生。

 続いては、今年の目玉石川さゆり。
 演歌を歌うと聞いていたから、きっと着物やろう、どんなステージになるんやろか、と始まる前からそわそわしていた。
 結果は期待以上。
 始まりの『津軽海峡冬景色』のよくよく知っているイントロが流れたら、その音の迫力に観客席はどよめいた。
 それは他のアーティストには負けてへんかった。
 そんな拍手の多さ大きさに頬を緩ませ、彼女は歌った。
 大勢のバックバンドのおじさんたちはみな音博のTシャツを着用し、みながこのアウェーな空間を楽しんでいる雰囲気が伝わってきた。
 いくつか曲を挟み、いよいよ楽しみにしていた『天城越え』。
 当たり前なのだけれどその歌のうまさにうーんと唸り、曲が終わる直前にした、えっ? カメラ目線というキリッとした眼差しにはずきゅーんと撃たれた。
 美しいだけではない、強さ。
 歌でそういうものを表現できるって、ほんますごい。すごかった。


 予想外の盛り上がりの余韻に浸りながら、そのあとは静かに時を待った。
 ここまでの時間はあっという間で、残すはくるりのみ。
 曇り空のせいか、18時前にも関わらず照明の灯りが煌々としていた。
 夕陽が見えない代わりに、ステージに現われたくるりを照らすのはオレンジの光。
 ふたりの白いシャツは、すぐに染まった。

 1曲目は『太陽のブルース』(『背骨』じゃありませんでした。すみません訂正しました)。
 間に石川さゆりさんのために岸田くんが渾身の力を振り絞って書いたという曲『夜汽車はいつも夢を乗せて』を挟みながら、『夜汽車』や『さよならリグレット』、『京都の大学生』、『かごの中のジョニー』(順不同)。
 今日はふたりともメガネで登場し、淡々と曲を演奏して歌ってゆく。
 途中さとちゃんがウッドベースを手にすると長い髪がゆれ、久々のメガネ姿にくらくらした。
 岸田くんはというとそれまでずっとぼさぼさ頭で登場してたのに、自分の出番のときにはさすがにちゃんとセットされ、凛々しい顔になっていた。

 そして『三日月』、『さよなら春の日』。
 もう終わり? と呆気にとられているうちにステージは少しの間暗くなった。
 そこで、陽がどっぷり暮れているのがようやく実感できた(最後は『魂のゆくえ』でした)。

 アンコールは、『虹』と『宿はなし』。
 やっぱり音博に『宿はなし』はよく似合う。
 そして途中でにかっと笑う岸田くんには、負ける。
 なんかよくわからんけど、もうしゃあないなあと思う。
 でも今日の岸田くんが歌詞を間違えたり、迷ったりしているような感じもし、どこか覇気のない印象をわたしは受けた。
 それでも「また来年」という言葉が口から出ると、ほおっと胸を撫で下ろした。

 帰り道は気づくと『宿はなし』をずっと歌っていた。
 陽が落ちるにつれて吹き出した風に音が滲みこみ、もう眩しさを感じない空の色がパウチされた時間。
 昨年に比べるとあっさりとした音博だったけど、広い空の下でゆるりと過ごすのはなにものにも変えがたい。
 そんな時間と場所を提供してくれたくるりに、わたしは感謝。

 そしてそのくるりは、開催にあたりあらゆる人に感謝していた。
 3年経っても、それは変らない。
 決して奢らない。でも挑み続ける姿勢。
 ああ、なんて場所に自分はいるのかと身が引き締まる。
 3年目は当たり前のようで、当たり前ではないのだ。

 
 今年はハナウタコさんとご友人Mさんにご一緒させてもらっての参加。
 1年目、2年目ともにあの濃密な時間を共有したnaminichidoriさんといつかご一緒できたらいいね、とハナウタコさんと話すなど、音博からの輪は毎年広がる。

 ほんま不思議な場所。
 そこは年に1度だけ開かずの扉が開くようなもんかもしれん。
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by fastfoward.koga | 2009-09-22 22:55 | 一日一言 | Comments(2)

久々に思い出した

 数ヶ月前に買ったピンキーリング。
 なくさないように細心の注意を払い、出かけるときは毎日つけている。

 むくむことを考えて少し緩めのサイズを買ったせいで、大半は右手の小指でくるくる回る。
 気を抜くと第二関節を通り抜け、第一関節でかろうじて引っかかる。
 一度は手を洗おうとしたら水の勢いに押されて排水溝に吸い込まれるところだった。
 ひやり、ドキリとした。

 そのせいで気づくと親指で付け根に戻そうとする仕草をしたり、ちゃんと石が付いてるほうが手の甲のほうにくるように回したりとせわしない。
 でもつけ忘れると無意識に動く親指が空振りし、物足りなさを感じるようになった。

 なんか恋愛してる毎日みたいだなあと思った。

 
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by fastfoward.koga | 2009-09-21 21:00 | 一日一言 | Comments(0)

巨大なひよこ

 わたしは、驚かされるのがすきではない。
 自分の知らないところで、自分に関わる何かが進行するのが自己制御できないように思えて、恐怖心を感じてしまうのだ。
 だから誰かがサプライズでわたしのためにお祝いをしてくれたとしても、素直に感謝も喜びも伝えられないことがある。つくづく損な性格である。
 でも毎日の生活の中で、ピリッと効かせるスパイスは時として必要だ。単調なリズムのくり返しはきもちを萎えさせるし、新しいエネルギーも生まない。
 だから自分になり日常に変化をつけて、工夫をしている。でも自分が常に発信元になるというのも、正直限界がある。
 ネタも尽きてきたなと思っていたある朝、いつものように会社に向った。改札を抜け外に出ると、爽やかな風が通り抜けた。駅のそばを流れている川から吹いてきたのだ。全身でそれを受け止め視線を移したら、目の前には黄色い巨大な物体があった。なんとそれはひよこだった。
 ビルの二階に相当する高さのビニールらしき素材でできた巨大なひよこは、川の流れにも動じずに浮かび、大阪に立ち並ぶ高層ビルを見つめていた。惚れ惚れするようなその力強い横顔と、赤い口ばしにまあるく鮮やかな黄色い巨体にわたしは見入ってしまった。
「なんでこんなところにひよこが。しかもこの大きさはなんやねん。」
 結局あとで調べたら、「水都大阪」というイベントの一環だということはわかったが、見たこともない大きさのひよこについて考えれば考えるほどおかしさがこみ上げ、終いにはふっと笑ってしまった。
 サプライズはすきではない。でも相手が物言わぬひよこなら、わたしも安心して笑って受け止められた。
 これはひよことわたしだけの秘密だ。

 課題 最近驚いたこと
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by fastfoward.koga | 2009-09-19 22:41 | 四〇〇字・課題 | Comments(4)

纏う

 朝晩は涼やかな空気が漂い、思ったより早く感じる秋の訪れ。
 そのスピードについてゆけず、着てゆく洋服選びに毎朝頭を悩ませている。
 袖丈を長くするために衣替えをしなくてはと思ったところで、過ぎる問い。

 大学に再び入学して、楽しい反面戸惑うこと。
 20歳そこそこの子たちが溢れかえるキャンパスに身を置き、年上の同級生たちと勉強する。
 そんなサンドウィッチ状態の自分が宙ぶらりんで、足元を確かめるために周囲を見渡しては同じような年齢の人を見つけて、わたしもあんなふうに見えるのだろうかと値踏みする。
 いいなと思える雰囲気を持っている人、痛々しいと思ってしまう人。
 そこで、年相応ってなに? 、と足踏みする。

 これまでも歳をとりたくないなんてことは決して思わず、若々しくはありたいとただ願っていた。
 でも今は、若さを求めれば求めるほど空回りし、口にはせずとも醸し出すものがすべて媚になるような気がした。
 生きている時間が長くなれば、逆らおうとしても徐々に若さは失われてゆくものなのだ。

 だったら、年相応でいい。
 いきいきさえしてればいいのだ、というように抱く思いが変化してきた。 
 
 歳を重ねるということは失うことばかりではない。
 得るものも必ずある。
 その多い少ないをちまちま数えていたら、若さにばかり捕らわれていたら、手の中にあるものに気づくこともできず、失くすだけの人生になるだろう。

 重ねた歳の分だけ纏える空気があるはず。
 衣替えをするみたいに、今この自分だから似合うものを、そのときそのときちゃんと見つけられればいいなと思う。
 で、明日はなにを着てゆこうか。
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by fastfoward.koga | 2009-09-17 23:28 | 一日一言 | Comments(6)

そこは底なし沼

 昨日、NHKの「トップランナー」に『スラムダンク』や『バガボンド』の作者井上雄彦氏が登場した。
 友人K嬢からメールをもらい、少し遅れてテレビを付けるとそこには早速苦悩する彼の顔。
 どちらのマンガも読んだことはないし、眠くて眠くて仕方なかったけれど、途中でテレビを消すことはできなかった。

 様々な迷いが断ち切れず、1年休載した『バガボンド』。
 その理由を語る表情、そして白い紙に筆を下ろすことをためらう表情。
 見ていて、やはり同じ「トップランナー」で長期にわたる取材を受けていた宮崎駿監督のことを思い出した。

 それは、『崖の上のボニョ』の製作過程の取材だった。
 締め切り間近(もしくはすでに過ぎていた)にも関わらず、監督はラストシーンをどう描くか思案していた。
 何日も、何日も。
 そのときの表情と、井上雄彦のそれは同じものだった。

 人は、プラスや明、正の部分だけで生きてゆけず、影となる負の部分は必ず誰もが持っている。
 それをどう肯定し、手なづけ飼ってゆくか。
 真っ向勝負を挑む人もいれば、見て見ぬふりをする人、静かに対峙する人もいるだろう。
 このふたりは、きっと三番目。
 自分の中にある底なし沼のような暗い場所を、足がすくんでも覗き込める人なのだ。
 というよりも、覗き込んで自分を自分で暴いていかないと前に進めないんじゃないだろうか。
 
 それはなにかを作り出す人が多かれ少なかれ持っている性質だが、このふたりはふり幅がとても大きい気がする。
 決して楽な生き方ではない。
 自分の辛い、ふたをしておきたいところをえぐり出す作業なのだから、当たり前だ。
 でもやる。
 それはそうしないと、自分が前に一歩踏み出せないから。
 現に、番組の最後で井上雄彦は言った。
「プロフェッショナルというのは、向上し続ける人、と思います。」

 向上できるから、彼らは自分に刃物をむけられるのだ。
 深い。なんと深いのか。
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by fastfoward.koga | 2009-09-16 20:12 | 一日一言 | Comments(0)