言霊の幸わう国

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アイラブくるり 改め ウィラブくるり

 たまった片づけをしながら。
 眠る少し前。
 うちに帰ってきて、ほっとひと息つきたいときに。

 細々と徐々に聴いていた『くるり鶏びゅーと』。
 やっと今晩じっくりと聴くことができたのだけれど、思ったとおりの出来上がり。
 でも聴けば聴くほど、思った以上の聴き応えのある72分11秒。

 andymoriの初々しい『ロックンロール』に、思わずにやっと笑ってしまう高野寛の『ワンダーフォーゲル』。
 木村カエラの歌う女の子バージョン『言葉はさんかく こころは四角』。
 マスドレの『飴色の部屋』のイントロの美しさに、霧のように沁みる二階堂和美の『宿はなし』。
 そしてユーミンの『春風』では、自然と耳がもっくんのドラムに集中する。

 でもなにより、奥田民生の歌う『ばらの花』は聴くたびに胸がどきりとした。
 声がいつもの響きとは少し違って聴こえて、とても若い男の子が歌っているような瑞々しさを感じた。

 愛が溢れた1枚。
 みなさんは、どの曲に心奪われましたか?
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by fastfoward.koga | 2009-10-31 21:12 | 往復書簡 | Comments(6)

狂ったカレンダー

 2ヶ月先取りで仕事をしているせいで、明日で10月が終わるというのが不思議な感じがする。
 わたしの頭の中ではすでに11月は終わっており、12月のことと年末年始で頭がいっぱいになっているのだ。
 仕事がひと息ついた夕方に、会社のテレビで、あれ? もうコートを着る季節だっけ? と、ぼんやり天気予報を見ていた。

 予想していたような、そうでないような、若干不服な残業のせいで、1日がF1並みのスピードで過ぎ去ってゆく。
 あと数ページで終わるはずの本も、遅々として進んでいない。
 今晩は、睡魔に負けずとにかく読みきろうと心に誓う。

 それにしても、どうしてこうも本を読めないのか。
 あのいつものほあんとした陽だまりの中にいるような、うっとりする本の世界になかなか入っていけない。
 目の前で閉じられた扉は固い。
 なにもかも開放されて本が読みたいと、うじうじしたきもちが湧いてくる。

 話は変わるが、11月途中から人生初の月金での勤務になる。
 就業時間も9時から17時半で、ずっと仕事を始めてからシフトでしか働いていないわたしには、それは未知の世界だ。
 昨年の今頃、ひと月半だけそれと同じ勤務を頼まれしていたが、辛くて仕方なかった。
 朝早くて睡眠不足が続き、土日しか休みがないジレンマ。
 人混みがとにかく嫌いなので、苦痛でしかない。
 年末年始もゴールデンウィークもカレンダーどおりの休みになる。
 そんな休みなど欲しくもないのに、と今から憂鬱。

 でもレポートのために必要な文庫を探しに馴染みの本屋に寄った帰り、ふと思ったことが。
 年末年始はとにかく本を読もう! そう思ったのだ。
 うちに閉じこもっていれば、人混みなど関係ない。
 あー、なんていいアイディアなのだと自画自賛したところでまた気づく。 

 それはまだ2ヶ月先の話。
 まだ11月も終わってないのだ。
 
 なあんだ、がっかり。
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by fastfoward.koga | 2009-10-30 22:06 | 一日一言 | Comments(4)

新幹線と『クーデタ』

 行きは、朝から胃が重くてうちでなにも口にできなかったから、おにぎりふたつと温かいお茶を持って乗り込んだ。
 出発するとすぐにおにぎりの封を切り、ひとつ口に。
 ふたつめは胃と相談の結果、続けて口に。
 でもシートで背筋を伸ばしていないせいか、おいしくいただいたおにぎりがすぐ胃の中でどっしりし始めた。
 うむむと唸りながらも、『クーデタ』を開いて気を紛らわせた。

 そのうち1時間もしないうちに、名古屋駅に到着。
 週初めから引きずる睡眠不足は解消できていなかったから、ちょっとここらでと本も目も閉じる。
 頭の片隅では、今日のお天気なら富士山が見えるかも。
 でも眠気には勝てなかった。

 ふいに目を覚まし、外の景色にあたりをつけると思ったとおり掛川だった。
 もしや富士山が! とわざわざデッキまで行って見た。
 頭ははっきり見えていたけれどいつもの白い帽子はかぶっておらず、代わりにお腹のあたりに白い雲がかかっていた。
 物足りなさを感じつつも、しばらく眺めて席へ戻った。

 熱海あたりまで来てしまうと二度寝する気にもならず、また『クーデタ』を広げていたら、前の列に並んで座っている韓国人のビジネスマンたちが車内販売で昼食を物色し始めた。
 男ふたりに、女ひとり。
 女性がラーメンはないですか? と日本語で聞いていて、後ろの席でさすがにそれはないなあと聞かれていないわたしが小さく答えていた。
 彼らは珍しく声が大きくないので、観光客でなく日本での仕事や生活に慣れている人たちなのだろうなとそれからあまり気にかけなかった。
 が、東京駅について彼らの座っていたシートを見て驚いた。
 食べたゴミが全部置きっぱなし。
 しかも女性の座っていたところが、1番だらしなかった。
 あー残念と、元に戻されることのなかった背もたれの位置だけ、なにかの証明のつもりで戻して下車した。


 帰りは、まい泉のカツサンドを手にして乗車。
 これまた動き始めてすぐに食べ始めると、品川駅で学生らしき一団の入場。
 6、7シート後方に座ったが、賑やかさがかき消されるほどではない。
 しばらく『クーデタ』を広げたものの、わかりにく表現の続くあたりで頭に文章が入ってこず断念。
 ならばと目を閉じると、意外にもすとんと眠りに落ちた。

 眠ったのは30分か40分くらいだろうか。
 豊橋か三河安城かとあたりをつけていると、しばらくして豊橋駅を通過した。
 まだ賑やかな後方へたまにちらりと視線を向けながら、名古屋で降りろ名古屋で降りろと念じてみる。
 ホームに入ってもまだ立ち上がる気配がないように思ってガッカリしていたら、こちらが心配になるくらいだらだら通路を歩いてみな去っていった。

 そこから、わたしのすきな新幹線の空間が返ってきた。
 白っぽくてクリーンで、静かな車内。
 
 帰りに楽しめなかった分もう1回乗りたいと、後ろ髪を引かれながらも京都で降りた。
 たぶんトーキョーまでもう1往復したら、『クーデタ』も読み終えられるのだけれど。
 そうは問屋が卸さない。
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by fastfoward.koga | 2009-10-26 21:00 | 一日一言 | Comments(2)

フライデーナイトウィズ アニ

 さっきトーキョーから帰ってきた。
 案外早かった。

 たまたま金曜が休みだったので、昼過ぎにはトーキョーへ到着。
 ほんとうは友人F家へお邪魔する予定だったのだが、新型インフルエンザの猛威に幼いこどもたちになにかあってはと、今回は遠慮してスクーリングに専念。
 こどもたちと一緒に遊びたかったなと思う反面、自分の中でとぐろを巻く邪悪なものが無垢なお子たちに接することで、新型インフルエンザウィルスを生み出す想像をなぜかしてしまい、また今度また今度とお腹の中で言い聞かせた。

 そんなこんなで、ぽっかり空いた金曜の夜。
 ひとりで過ごすのは物寂しいと、久しぶりに兄にコンタクトをとってみた。
 すると兄のほうも約束が延びたようで、いいよと返事が返ってきた。

 たいてい、兄と飲みに行くときには「奢ってな」とハッキリ書いてメールする。
 そうして待ち合わせ場所と時間を決める際には、兄にお伺いをたてる。
 場所はどうする? と尋ねると、「(地下鉄)東西線沿線で」とひと言。
 兄は、妹が東京は不慣れだろうとわたしの宿泊するホテルの近くにしようなどと気を遣う人ではない。
 じゃあとわたしは自分で路線図を調べ、今回は日本橋で待ち合わせることにした。

 忙しくないから定時で終われると言うので、18時ごろからあらかじめわたしが見つけていた築地から仕入れたお魚をメインにしているお店に入った。
 店員さんからは、金曜日なので混みあったら2時間でと言われていたが、他のテーブルの回転がよく、そういう声をかけられることはなかった。

 メニューを見ながら、刺身は? サラダは? 揚げ物は? と甲斐甲斐しく兄に世話を焼く。
 その合間に、適当に自分の食べたいものを差し挟み注文。
 最初はわたしよりもピッチの早い兄のグラスの空き具合を見ながら、食べる口も飲む口も話す口もペースを落とさず、ビールでいいの? とテーブルを仕切るわたし。
 こういう関係というか、間合いというか、もう離れて暮らすようになってからの時間のほうが長くなったのに、変わらないものなのだなとしみじみ思った。

 サンマの刺身やきすの天ぷらなど、おいしい魚をいただきながら、話は我が家のちょっと変わった食卓に上る食材のことや、兄の仕事、わたしの大学、鉄子話などを延々とする。
 話は、途切れない。
 正月だけは京都に帰ってくるものの、兄とこうして飲みに行くのは3年ぶりだ。
 親のいないところだからこそできる話が、山ほどあった。

 気づくと、店員さんに閉店ですと声をかけられた。
 時計を見ると、23時を回っている。
 支払いをする兄の手許を見て、結構飲んだなと思いながら、ごちそうさまですと頭を下げてみた。

 店を出たら、兄妹はもちろんぐずぐずしない。
 兄は地下への入口に消え、妹は一応手を振り、じゃあねとホテルへと徒歩で帰る。
 そこでも兄は電車がまだあるのだから、危ないから、ということは一切言わない。
 昔から、わかりやすい相談をしない限りは、兄から助言もしくはらしきものが返ってくることはない。
 兄にしてみれば、お前に聞く気はあるのかと言うのだろうけど。

 日本橋からホテルまで、プリントしてあった地図を時折確認しながら歩く。
 人影もまばらな歩道の上で、ふと足元が千鳥足になっていることに気づいた。
 少しひやりとしたところでホテルの看板を見つけ、内心胸を撫で下ろしていた。
 部屋に入るとさらに安心したのか、世界がぐるぐる回り出した。

 兄相手に飲んで、酔っ払うとは。

 次の日の午前中は軽い二日酔い。
 夕方1日目のスクーリングが終わり完全に復活してからメールをしたら、兄も同じだったらしい。
 昨日は、わたしのほうが多く飲んでいた。

 お互い弱くなったものだねえ。
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by fastfoward.koga | 2009-10-25 21:19 | 一日一言 | Comments(6)

読書列車

 明日(正確には日付がかわったので今日)から、土日のスクーリングのためトーキョーへ向う。
 仕事をしながら明日は新幹線かと思うと、人が大勢いるのにシンとした白っぽい車内が頭の中に映像として浮かんだ。
 その空気がリアルに感じられたとき、わーい! 新幹線だ! と胸が躍った。

 明日の支度を始めて、最後になんの本を持っていこうか迷い、読みかけの本(堀江敏幸の『郊外へ』と岡倉覚三の『茶の本』)を2冊キャリーにしまった。
 でもお風呂に入っている間に、さらに前から読みかけの超分厚いハードカバーを持っていこうと気が変わった。
 よあそびがすぎて本もろくに読めていないから、ゆっくり読書するにはちょうどいいはずだ。
 それに、『クーデタ』のピンクの装丁は、きっと新幹線によく似合うはず。
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by fastfoward.koga | 2009-10-23 00:48 | 一日一言 | Comments(2)

よあそび

 連日の夜遊び。
 みるみる、体力と睡眠を奪ってゆく。

 珍しく予定が集中し、わたしにしてはあわただしい日が続く。
 眠いのが難だけど、誰かと会って話したり時間を共有するのは楽しい。

 今はそういう時期なんやなあ。
 こういうのはいつもじゃないから、大切にしなな。
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by fastfoward.koga | 2009-10-21 22:35 | 一日一言 | Comments(2)

浮く言葉

 先日、本屋で見かけた、穂村弘×東直子の『回転ドアは、順番に』。
 あちらこちらで名を聞いていた穂村弘。
 頭のメモには記していたが、なかなかご縁がなかった。
 でもやっときっかけができた。

 「星たちが歌いはじめる 水圧でお風呂の栓がぬけない夜に」

 この、穂村弘の短歌を何度も読み返したくて、でもその度に本屋に来てこの本を広げるわけにもいかないので、買った。

 今日は、新聞広告で見ていた『BRUTUS』を買った。
 特集は「美しい言葉」。
 まだペラペラ捲るだけしかしていないが、いい。

 ずっと超がつくほどの長編小説や難解な文章を読んでいたせいか、さらっとしている言葉やその羅列にきもちが惹かれる。
 なんだろう、今無性に誰かにハガキを書きたくなった。
 手紙のように思いを100%以上託さない、書きながら書くことを考えられるハガキ。
 残念ながらうちでハガキが書けない性質なので、どこかへ流れて辿り着いたところでペンを持つとしよう。

 そのとき、わたしはいったい何を見ているのだろうか。
 本当に、書きながら考えて書けるのか。
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by fastfoward.koga | 2009-10-17 22:59 | 一日一言 | Comments(2)

ドキン

 今朝、あるべき場所にあるべきものがなかった。
 どーしよーとしばらくメガネをかけて探したが、初めから見つからないと思っていた。
 昨日の夜に巻き戻しできたらという思いが過ぎる。
 が、それは鼻から無理な話だ。
 事は解決しないまま、仕事に行った。

 職場は、日に日に乾燥度が増している。
 湿度は40%にも満たない。
 それに加え、慣れないメガネでの作業で目はしょぼしょぼ。
 潤いを、と目薬に手を伸ばしてメガネを外し、そこで初めてメガネの存在が疎ましくなった。
 しばらくこのままで仕事をしようかとパソコンの画面を見て愕然。

 文字がまったく見えなかった。
 そう自分でも忘れていたが、わたしはド近眼なのだ。

 カンバック。
 左目のソフトレンズよ。
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by fastfoward.koga | 2009-10-16 22:34 | 一日一言 | Comments(2)

消費するものしないもの

 モノは消費するもの、いつかは捨てるものだと、思っているところがある。
 ところがある、という若干回りくどい言い方をするということは、そうでないものもあるということで(これも回りくどい)。
 わたしの場合は、やはり本は捨てない。本は収集するものだと思っているから。
 あとはなにかあるだろうか、と考えて、本ほど執着するものはないように思う。

 ただ、ひとまとめにはされないだけで、モノひとつひとつを気に入ればそれは長く使いたいと思っている。
 例えば身近なもので、時計、財布、定期入れ。
 使い勝手がよく、デザインも気に入っていると、使い込むうちに愛着も湧くのでなおのこと。
 できるだけ長く、手許に置いておきたいものだ。

 逆に消費すると分類をするものは、洋服、靴、カバン、文具、日用雑貨(シャンプー、石鹸、歯ブラシ)など。
 特に文具と日用雑貨は、使い切ったときの達成感がたまらなくすきだ。
 歯磨き粉をもう無理というくらいまで出すとか、消しゴムを持てなくなるまで使うとか。
 今日も会社で使っていた3色ボールペンの最後の赤を使い切って、とても清々しいきもちになった。
 ゴミ箱に入れるときには、明るく爽やかにさようならと別れを告げられた。

 でも洋服や靴、カバンは違う。
 例えば、昨年の秋に買った靴。
 予算オーバーだったけれど、何軒も靴屋を探し回って、最後はこれしかないでしょうと力強い決断で購入した。
 でも履きすぎて、しかも雑な履き方をして、踵や爪先が磨り減って再起不能に追いやった。
 それから、3年前から毎年ローテーション入りをしていたグレーのカシミアのカーディガン。
 薄くて暖かいし、似合う色のグレーだったから何度も袖を通した。
 でもこれもいつの間にか引っ掛けた穴が大きくなってしまい、もう繕うこともできない。

 消費するものだと分類している割には、気に入って身につけていたものは手離すときには少し胸が痛い。
 新しいものを買えばいい、そのときの流行を取り入れなくては、と新しいモノを欲する一方で、これの代わりはないのだという事実を知ると途方に暮れる。
 後悔先に立たず、である。
 わたしが大切にしたいものを、消費するものだ、いつかは捨てるものだと思い込んでないで、大切に扱いさえすればよかっただけなのに。
 だいたい、これらを消費するもののグループに入れていたのが間違いだったのだ。

 さっき、やっと黒のロングブーツを箱から出した。
 収納はハハに任せていたので場所を教えてもらっていると、ハハがずっと昔に履いていた(おそらくわたしがこどものころ)茶色のショートブーツが出てきた。
 中がファーになっているローヒールのブーツだ。
 ハハが履き潰そうかなと言っている横で、ちょっと履かせてと試しに足を入れてみた。
 サイズも合うし、1度鏡の前で合わせてみると部屋に持って上がった。

 改めて履いてみたけれど、素足の部分に触れるファーがきもちいい。
 甲の納まりもいいし、ジーンズに合わせたら今でも履けそうだと、鏡を見て思った。
 いつもは、ハハをモノが捨てられない人だとわたしは責めている。
 が、このタイミングでやってきたブーツにその口は固く閉じた。
 これは、思し召しだ。
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by fastfoward.koga | 2009-10-15 21:03 | 一日一言 | Comments(0)

書く動機

 大学で再び学び始めてから何度も目にし、耳にした言葉。
 それは、書く動機。
 エッセイでも小説でもレポートでも、書く技術の前に書く動機を求められる。
 レポートが書けないときや、ブログになにを書くか決まらないときに、わたしはふとこの言葉を思い出す。
 たいした動機もないから書くことに困るわけで、例えば課題で自分や家族について書けと言われると、のほほんとした環境でのほほんと暮らしてきた自分にはさほど強い動機が見当たらず、あたふたする。
 そこで、じゃあ自分はなぜ書こうとするのかを自問する。
 それは書くことが自分には必要だから、書くことで自分の精神のバランスを整えることができるからなのだが、じゃあやっぱり書くことがあるんじゃないかと、問うた自分に強く答える。
 書こうとする意志はあるのだ。でも動機という意思に欠ける。
 こうしてぐるぐると思考のメビウスの輪にはまると、書くことは手段ではないのかと助け舟がやって来る。
 そう、手段ならやはり目的となる確たるものがあるはずなのだ。
 でも書くことが目的なら、わたしはいったいなにを書くのだろう。

 書くという行為へのこだわりを捨てたら、書くことなど探さなくていい。
 でも毎日書かないと書く技術は衰える。
 せっかく書こうとした、いざ、というときにイメージしたように言葉が出てこなくなる。
 それは怖い。
 そんな思いをするなら、やはり毎日書いておこうと思う。
 一生懸命書くことを探すが、そうそう書くに値するようなことは起こらない。
 誰もわたしが朝何時に起きて、どんな洋服で仕事に行き、誰とどんな会話を交わし、夕飯になにを食べ、お風呂に何分入って、どんな夢を見たのか、事細かに知りたいわけがない。
 書こうとするのがわたしなら、少なくともわたしが軸になって描く世界しか言葉にできないのだが、伝えたいのは起こった出来事だけではなくその中に隠れているエッセンス的なもので、それが自分と相手との架け橋になるのだと思う。
 
 結局、書こうとするのはわたしの場合、人と繋がっていたいからなのだ。
 自分がなにを考えなにを感じ、他者がなにを考えなにを感じたのか、同意できなくても共感し共有したい。
 ときどき思うように人と関わりあえなくて全部をもういいと目も耳も塞いでしまうことがあるけれど、ほんとうは口だけは塞ぎたくないと思っている。
 届かなくても伝わらなくても、自分の内側に生まれたものは大声で言いたい。
 それを叫ぶだけでなく言葉や文章にして書き記そうとし、あわよくば誰かに届いたらいいのにと期待している。

 じたばたするように乞う、人と繋がり続けることのために、わたしは一体なにを書くのか。
 そのとき、書くことは手段でもあり、目的でもある。
 一方的に求めるだけでは決して得られない答えを探して、四の五の言わず、やはり書くしかないということか。
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by fastfoward.koga | 2009-10-13 23:14 | 一日一言 | Comments(2)