前回ブログを書いたのは、16日。
それから毎日、書くことを考えていたのに、結局1度も書かず。
12日間、なにをしていたかというと、毎日細々と生活しながら、眠くて眠くて仕方ないと思っていた。
今日も会社を出て駅に着いたら、立っているのも辛いぐらい眠かった。
誰かに睡眠薬でも入れられたのだろうか。
とりあえず、もう寝よう。
可能なら、3週間くらい眠り続けたい。
それから毎日、書くことを考えていたのに、結局1度も書かず。
12日間、なにをしていたかというと、毎日細々と生活しながら、眠くて眠くて仕方ないと思っていた。
今日も会社を出て駅に着いたら、立っているのも辛いぐらい眠かった。
誰かに睡眠薬でも入れられたのだろうか。
とりあえず、もう寝よう。
可能なら、3週間くらい眠り続けたい。
チョコレートに引き続き、食べ物の話題。
最近、無性にラーメンが食べたかった。
火曜日は我慢できず、スーパーで生麺のラーメンを買って食べた。
でも今日また、食べたくなった。
どうして最近こんなにラーメンが食べたくなるのか、不思議だった。
なんでだろう、なんでだろう。
そう考えながら、やっぱり今日もラーメンを食べようと決めたとき、わたしが手にしていたのは速水健朗の『ラーメンと愛国』。
・・・わたしは、わかりやすい人間だった。
最近、無性にラーメンが食べたかった。
火曜日は我慢できず、スーパーで生麺のラーメンを買って食べた。
でも今日また、食べたくなった。
どうして最近こんなにラーメンが食べたくなるのか、不思議だった。
なんでだろう、なんでだろう。
そう考えながら、やっぱり今日もラーメンを食べようと決めたとき、わたしが手にしていたのは速水健朗の『ラーメンと愛国』。
・・・わたしは、わかりやすい人間だった。
会社の子が、いつもバレンタインには手作りチョコを持ってきてくれる。
今日は試食ね、と小さな輪の中にだけ1日早く配ってくれた。
ちょうど不毛だ、とつぶやきながらしていた仕事の最中。
手渡されたそのチョコを、ひと口で食べてしまった。
そしたら猛烈にチョコを食べたくなって、我慢できずデスクの抽斗を開けた。
オレンジの味がする板チョコ。
結局帰るまでに食べきった。
食べきって少し軽くなった心。
明日は、ミルク味の板チョコにお世話になろう。
今日は試食ね、と小さな輪の中にだけ1日早く配ってくれた。
ちょうど不毛だ、とつぶやきながらしていた仕事の最中。
手渡されたそのチョコを、ひと口で食べてしまった。
そしたら猛烈にチョコを食べたくなって、我慢できずデスクの抽斗を開けた。
オレンジの味がする板チョコ。
結局帰るまでに食べきった。
食べきって少し軽くなった心。
明日は、ミルク味の板チョコにお世話になろう。
今日、電車に忘れた文庫本『第二阿房列車』が戻ってきたので、早速続きを読んだ。
「清水隧道の前後にかけて、ルウプ線が二つある筈である。ルウプ線は輪になっていて、列車が高低に分けれた線路で同じ所を二度通る。鹿児島阿房列車の時、肥薩線の矢嶽、大畑の間で、汽車がそう云う所を走っていくのを窓から見た。今度も見ようと待ち構えていたが、車内のスチイムと外の冷気の為に窓が曇っているから、解らない。
但し、私の所の窓だけは曇っていない。前以ってそれに備える用意をして来た。ガーゼの布巾と小さな罎に入れたアルコールを持っている。アルコールを沁ませた布巾でしょっちゅう窓を拭いているから、私の座席の窓は曇らない。だから外が見えない事はないが、進行する列車の行く先の線路の曲り工合などを、窓から首を出さずに眺めるには、いつも斜に前方を見ていなければならない。それに必要な見当の窓は、人の座席にある。人の窓を拭きに行くわけに行かないから、見たいと思う外が見られない。」
これは、『第二阿房列車』の「雪中新潟阿房列車」の一節。
なんとまあ、50年近く前に同じことを考えていた人がいたとは。
車窓の景色を見ようと心を砕く。
このこだわり、そしてこの文章。
読んでいると、それだけでもう夢心地だ。
ちなみに、肥薩線にはわたしも行ったことがある。
初めてのひとり鉄旅だった。
何日も何日も、ひたすら列車に乗っていたあの日、矢岳(ヤタケ)・大畑(オコバ)駅のループで気分は最高潮に高揚した。
読んでいたら、眼下に広がった初めて見る町やノスタルジックな駅、そして自分はどこへでも行けるのだと思ったきもちが、懐かしくなった。
あぁ、でもすぐには旅に出られないから、せめて『第一阿房列車』の「鹿児島阿房列車」を読み返そう。
「清水隧道の前後にかけて、ルウプ線が二つある筈である。ルウプ線は輪になっていて、列車が高低に分けれた線路で同じ所を二度通る。鹿児島阿房列車の時、肥薩線の矢嶽、大畑の間で、汽車がそう云う所を走っていくのを窓から見た。今度も見ようと待ち構えていたが、車内のスチイムと外の冷気の為に窓が曇っているから、解らない。
但し、私の所の窓だけは曇っていない。前以ってそれに備える用意をして来た。ガーゼの布巾と小さな罎に入れたアルコールを持っている。アルコールを沁ませた布巾でしょっちゅう窓を拭いているから、私の座席の窓は曇らない。だから外が見えない事はないが、進行する列車の行く先の線路の曲り工合などを、窓から首を出さずに眺めるには、いつも斜に前方を見ていなければならない。それに必要な見当の窓は、人の座席にある。人の窓を拭きに行くわけに行かないから、見たいと思う外が見られない。」
これは、『第二阿房列車』の「雪中新潟阿房列車」の一節。
なんとまあ、50年近く前に同じことを考えていた人がいたとは。
車窓の景色を見ようと心を砕く。
このこだわり、そしてこの文章。
読んでいると、それだけでもう夢心地だ。
ちなみに、肥薩線にはわたしも行ったことがある。
初めてのひとり鉄旅だった。
何日も何日も、ひたすら列車に乗っていたあの日、矢岳(ヤタケ)・大畑(オコバ)駅のループで気分は最高潮に高揚した。
読んでいたら、眼下に広がった初めて見る町やノスタルジックな駅、そして自分はどこへでも行けるのだと思ったきもちが、懐かしくなった。
あぁ、でもすぐには旅に出られないから、せめて『第一阿房列車』の「鹿児島阿房列車」を読み返そう。
1 プルースト・高遠弘美訳
失われた時を求めて 第一篇「スワン家のほうへⅠ」・光文社古典新訳文庫
2 フロベール・山田ジャク訳
ボヴァリー夫人・河出文庫
3 村上春樹 回転木馬のデッドヒート※・講談社文庫
4 高野和明 6時間後に君は死ぬ・講談社文庫
5 フランツ・カフカ・頭木弘樹編訳
絶望名人 カフカの人生論・飛鳥新社
6 大石英司 神はサイコロを振らない※・中公文庫
今年読んだものから、出版社名も記すことにしました。
理由は、今まで海外の作品はあまり読まなかったので気になりませんでしたが、どこの出版社の誰が訳したものかは結構重要だなと思い直したからです。
今回読んだプルーストやフロベールなどは、ひとまず買った、というところがあるので、他の訳者のものも読んでみたいものです。
それは、なかなかチャレンジャーなことなんですが。
1月は、いろんなことからの開放感で本を読むのものびのび。
買いためていた本、読み返したくなった本、読みたかった本、少しずつ手に取り読みました。
久しぶりに村上春樹を読みましたが、やっぱりこの人の書く日本語は読みやすいです。
引っかかりがないというのでしょうか。
一語もこぼれ落ちることなく、無心に文章を追いかけられることに幸せを感じます。
そして読み返したもう1冊、大石英司の『神はサイコロを振らない』は、ルポタージュのように書かれた小説ですが、自分には書けない文章に浸りながら読みました。
そして2月になった今、旅に出られない鬱憤を晴らそうと読み始めた文庫本。
うっかり、昨日電車の中に置き忘れてしまいました。
忘れ物センターに電話をすると、係の人から「どんな本ですか?」という問いが。
「内田百閒の『第二阿房列車』です」
・・・・・・。
ああ、阿房ならぬ阿呆はわたし、わたしですよ。
早く続きが読みたいです。
失われた時を求めて 第一篇「スワン家のほうへⅠ」・光文社古典新訳文庫
2 フロベール・山田ジャク訳
ボヴァリー夫人・河出文庫
3 村上春樹 回転木馬のデッドヒート※・講談社文庫
4 高野和明 6時間後に君は死ぬ・講談社文庫
5 フランツ・カフカ・頭木弘樹編訳
絶望名人 カフカの人生論・飛鳥新社
6 大石英司 神はサイコロを振らない※・中公文庫
今年読んだものから、出版社名も記すことにしました。
理由は、今まで海外の作品はあまり読まなかったので気になりませんでしたが、どこの出版社の誰が訳したものかは結構重要だなと思い直したからです。
今回読んだプルーストやフロベールなどは、ひとまず買った、というところがあるので、他の訳者のものも読んでみたいものです。
それは、なかなかチャレンジャーなことなんですが。
1月は、いろんなことからの開放感で本を読むのものびのび。
買いためていた本、読み返したくなった本、読みたかった本、少しずつ手に取り読みました。
久しぶりに村上春樹を読みましたが、やっぱりこの人の書く日本語は読みやすいです。
引っかかりがないというのでしょうか。
一語もこぼれ落ちることなく、無心に文章を追いかけられることに幸せを感じます。
そして読み返したもう1冊、大石英司の『神はサイコロを振らない』は、ルポタージュのように書かれた小説ですが、自分には書けない文章に浸りながら読みました。
そして2月になった今、旅に出られない鬱憤を晴らそうと読み始めた文庫本。
うっかり、昨日電車の中に置き忘れてしまいました。
忘れ物センターに電話をすると、係の人から「どんな本ですか?」という問いが。
「内田百閒の『第二阿房列車』です」
・・・・・・。
ああ、阿房ならぬ阿呆はわたし、わたしですよ。
早く続きが読みたいです。
基本的に、散らかっているより片付いているほうがすきだ。
部屋も、気分も、頭の中も。
でも今週は、片付ける間もないちらかしっぱなしの1週間だった。
筋肉痛に、思わぬ残業、飲み会と、日常生活はくちゃくちゃだった。
土日で、取り戻そう。
必ず片付けて、来週に備えよう。
部屋も、気分も、頭の中も。
でも今週は、片付ける間もないちらかしっぱなしの1週間だった。
筋肉痛に、思わぬ残業、飲み会と、日常生活はくちゃくちゃだった。
土日で、取り戻そう。
必ず片付けて、来週に備えよう。
ここに住み始めて7年が経ちました。
今日から、8年目です。
10年を目標にして、それもあと2年だと思うとちょっとくらくらきます。
今気づきましたが、わたしのブログ生活はちょうど30代と重なるのです。
そろそろ次のステップを意識しつつ、もうひと花咲かせたいと思っています。
日常をもう少し丁寧に言葉にしたり、文章にしたり。
思いばかりが先走りますが、これからもよろしくお願いいたします。
今日から、8年目です。
10年を目標にして、それもあと2年だと思うとちょっとくらくらきます。
今気づきましたが、わたしのブログ生活はちょうど30代と重なるのです。
そろそろ次のステップを意識しつつ、もうひと花咲かせたいと思っています。
日常をもう少し丁寧に言葉にしたり、文章にしたり。
思いばかりが先走りますが、これからもよろしくお願いいたします。
わたしの記憶は、抽斗にしまわれているといつも思っていた。
想像の中のその抽斗は、古い薬局にあるような、まるいぽっちが縦にも横にもたくさん並んでいるものだ。
表に、中身を知らせるラベルが貼ってあるわけではない。
けれどわたしはその中にあるものを、なんとなく分類している。
この記憶はこのあたり、あの記憶はあのあたり。
当たりをつけて、ぽっちを掴んで抽斗を開けてみるのだ。
それは、時には当たり、時にははずれる。
開けて違うとわかることもあれば、どのぽっちを掴んでいいのかもわからないこともある。
むやみやたらに開けられない、と思い込む奇妙な生真面目さに囚われるのがわたしなのだ。
来客用のスリッパの音を立てながら廊下を歩いていたわたしは、鍵のしまった窓に鼻をくっつけながら、こう言った。
「調理室の匂いがする」
すると、建て替えた母校を案内してくれていた先生も、同じ時間を過ごした友人たちも、みな口を揃えて言った。
「するわけないやん」
でも、匂いは確かにしたのだ。
少し湿気た、野菜と、なにかを煮込んだような残り香。
わたしはそれを調理室の匂いと記憶し、どこにしまったのかも忘れてしまうようなところに長い間閉じ込めていた。
わたしたちが通っていたころと、位置はすっかり変わってしまっていた調理室。
でも匂いは同じ。あのころと変わっていない。
話題はすでに向かい側の教室の1年生の話になっていたけれど、心のどこかでもう1度、その匂いをちゃんと鼻を鳴らして嗅いでみたいと思っていた。
わたしが通っていた中学は、ここ数年の間に建て替えられていた。
マラソン大会のあと、飲みながら昼食をと予約したお店に向かうには早すぎ、中が見たいと恩師のひとりにお願いをした。
先生は数年前にかつていた、わたしの母校に戻ってきていたのだ。
快諾してくれた先生に連れられ、十何年ぶりかに足を踏み入れた中学校。
校舎の位置関係は変わらないものの、グランド側にあった校舎は少し前にせり出していた。
そう言えば、ちょっと狭くなった気がする、と心の中で思った。
ベビーブームだったわたしたちからはぐんと生徒数が減ったせいで普通教室の数は少なくなり、今では冷暖房が完備がされているらしい。
かつて教室が並んでいたところには階段ができ、ガラス張りになったその場所からはグランドが見えた。
バックネットの位置が変わったと教えてくれる先生の話に耳を傾けながら、誰もいないガランとしたグランドに記憶を重ねていた。
手前左に陸上部、その奥にソフトボール部、バックネット前は野球部で、残りがサッカー部。1番後者から遠いところにはテニスコートとバレーコートがあった。
それも今では、各クラブの場所取りは違っているらしい。
ふーんと頷きながらも、意識は遠いところにあった。
校内はといえば、職員室と保健室の位置は変わっていなかった。
けれど、図書室と音楽室は別のところに移っていた。
校内を4人でぐるぐる回っていたら、徐々にわたしの記憶も回り始めた。
「気温が9度以下にならないと、購買部の前に灯油が出なかった」とか。
「廊下の水道脇のフックがある場所に、すっぽり収まるようにして座り込んでいた」とか。
「グランド側の自転車置き場は、わたしたちの学年が入学するときに作られた」とか。
「体育館の入口の前に高飛び用のマットを置いていたら、いつもサッカー部に占領されていた」とか。
するすると、中学時代にごく普通に見てきたことが口をついて出てきた。
でもほんとうは、もっとたくさんの記憶が脳に蘇っていた。
始業時のチャイムの間際に混み合った自転車置き場とか。
カーテンを閉めたときの教室の色とか。
中庭側にあるベランダの手すりの白っぽくてざらついた感じとか。
廊下にごったがえす人の多さと、その幅とか。
そこから見た景色とか。
砂場のよそよそしい空気とか。
抽斗のぽっちを掴むまでもなく、記憶は観音とびらが開け放たれたように溢れてきた。
時々夢に出てくる中学校という場所は、変わってしまっていても変わっていないような気がした。
実は変わっているようで変わっていないのは、自分なんじゃないかと思ったりもした。
冬の日曜の学校は、どこかにさらわれて連れていかれたような場所だった。
想像の中のその抽斗は、古い薬局にあるような、まるいぽっちが縦にも横にもたくさん並んでいるものだ。
表に、中身を知らせるラベルが貼ってあるわけではない。
けれどわたしはその中にあるものを、なんとなく分類している。
この記憶はこのあたり、あの記憶はあのあたり。
当たりをつけて、ぽっちを掴んで抽斗を開けてみるのだ。
それは、時には当たり、時にははずれる。
開けて違うとわかることもあれば、どのぽっちを掴んでいいのかもわからないこともある。
むやみやたらに開けられない、と思い込む奇妙な生真面目さに囚われるのがわたしなのだ。
来客用のスリッパの音を立てながら廊下を歩いていたわたしは、鍵のしまった窓に鼻をくっつけながら、こう言った。
「調理室の匂いがする」
すると、建て替えた母校を案内してくれていた先生も、同じ時間を過ごした友人たちも、みな口を揃えて言った。
「するわけないやん」
でも、匂いは確かにしたのだ。
少し湿気た、野菜と、なにかを煮込んだような残り香。
わたしはそれを調理室の匂いと記憶し、どこにしまったのかも忘れてしまうようなところに長い間閉じ込めていた。
わたしたちが通っていたころと、位置はすっかり変わってしまっていた調理室。
でも匂いは同じ。あのころと変わっていない。
話題はすでに向かい側の教室の1年生の話になっていたけれど、心のどこかでもう1度、その匂いをちゃんと鼻を鳴らして嗅いでみたいと思っていた。
わたしが通っていた中学は、ここ数年の間に建て替えられていた。
マラソン大会のあと、飲みながら昼食をと予約したお店に向かうには早すぎ、中が見たいと恩師のひとりにお願いをした。
先生は数年前にかつていた、わたしの母校に戻ってきていたのだ。
快諾してくれた先生に連れられ、十何年ぶりかに足を踏み入れた中学校。
校舎の位置関係は変わらないものの、グランド側にあった校舎は少し前にせり出していた。
そう言えば、ちょっと狭くなった気がする、と心の中で思った。
ベビーブームだったわたしたちからはぐんと生徒数が減ったせいで普通教室の数は少なくなり、今では冷暖房が完備がされているらしい。
かつて教室が並んでいたところには階段ができ、ガラス張りになったその場所からはグランドが見えた。
バックネットの位置が変わったと教えてくれる先生の話に耳を傾けながら、誰もいないガランとしたグランドに記憶を重ねていた。
手前左に陸上部、その奥にソフトボール部、バックネット前は野球部で、残りがサッカー部。1番後者から遠いところにはテニスコートとバレーコートがあった。
それも今では、各クラブの場所取りは違っているらしい。
ふーんと頷きながらも、意識は遠いところにあった。
校内はといえば、職員室と保健室の位置は変わっていなかった。
けれど、図書室と音楽室は別のところに移っていた。
校内を4人でぐるぐる回っていたら、徐々にわたしの記憶も回り始めた。
「気温が9度以下にならないと、購買部の前に灯油が出なかった」とか。
「廊下の水道脇のフックがある場所に、すっぽり収まるようにして座り込んでいた」とか。
「グランド側の自転車置き場は、わたしたちの学年が入学するときに作られた」とか。
「体育館の入口の前に高飛び用のマットを置いていたら、いつもサッカー部に占領されていた」とか。
するすると、中学時代にごく普通に見てきたことが口をついて出てきた。
でもほんとうは、もっとたくさんの記憶が脳に蘇っていた。
始業時のチャイムの間際に混み合った自転車置き場とか。
カーテンを閉めたときの教室の色とか。
中庭側にあるベランダの手すりの白っぽくてざらついた感じとか。
廊下にごったがえす人の多さと、その幅とか。
そこから見た景色とか。
砂場のよそよそしい空気とか。
抽斗のぽっちを掴むまでもなく、記憶は観音とびらが開け放たれたように溢れてきた。
時々夢に出てくる中学校という場所は、変わってしまっていても変わっていないような気がした。
実は変わっているようで変わっていないのは、自分なんじゃないかと思ったりもした。
冬の日曜の学校は、どこかにさらわれて連れていかれたような場所だった。
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