言霊の幸わう国

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付箋紙の下に眠る言葉

 先日、珍しくケーキを買った日と同じ日に書店に立ち寄った。
 駅ナカにある小さな書店だったけれど、久しぶりに感覚を研ぎ澄まして1冊の本を選んだ。

 2012年の本屋大賞を受賞した、三浦しをんの『舟を編む』。
 すでに映画化も決まっている、遅ればせながらの1冊だったけれど、読み始めたら必死になって言葉を追っていた。
 特に印象に残っているのは、製紙会社から辞書用の「究極の紙」が出来上がったと呼び出され、その感触を確かめる場面だ。
 大の大人が、ある感触を求めて右往左往して作り上げたその「究極の紙」。
 不覚にも電車の中で、涙がこぼれそうになった。

 そしてなにより、そこにたどり着いたとき、なくしてはいけないとあわててカバンの中から付箋紙を取り出した一文。

「(前略)記憶とは言葉なのだそうです。香りや味や音をきっかけに、古い記憶が呼び起こされることがありますが、それはすなわち、曖昧なまま眠っていたものを言語化するということです」

 大学に入り文芸を学び、様々な目的を持つ学友たちの中でもまれ、1年立ち止まっては悩んで書いた作品を手に卒業し、自分がこれから書くこととどう向き合ってゆくのか、目の前にあるのはおぼろげななにか、だった。
 救いだったのはなにかがあるとわかっていることで、それを浮かび上がらせる手立てがここまでわからなかったのだ。

 記憶を記す。
 わたしが書くことでやりたいことは、究極、それ。
 ただそれをどんな形で書くか、そこにはまだ選択肢がたくさんある。
 迷っても、なにも選べないより選べる状況のほうがいい。
 今なら、この先どこかで選べるときがまた巡ってくる予感がする。

『舟を編む』はいったんダンボールに詰められ、新しい部屋で改めてその背表紙を見ることになるだろう。
 貼り付けた付箋紙は、今も波平の1本の毛のようにすくっと上を向いている。
 それはまるで決意表明のように、力強い。
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by fastfoward.koga | 2012-07-30 22:46 | 一日一言 | Comments(0)

ぶらぶら

 いつごろからだろう。
 いつも、これが終わったら、あれが終わったら、そんあふうに日々を過ごすようになった。
 終わるのを心待ちにしているこれやあれ。
 自分の元にやってくると、それらはウォータースライダーに乗っかったかのように、つるんと消えてなくなる。
 そのなくなる瞬間が得難いと、旅に出たり、新しい本や音楽を求めているというのに、掴んだだけでそれは言葉にはのせかえられていない。

 どうしてこんなに書き残していないのか。
 
 ひとり暮らしを始めて生活ペースが変化したことが大きいことには間違いないけれど、それ以外に自分を書くことへ意識を向けさせられないあることに、気がついた。
 それは足をぶらぶらさせること。

 今書いているわたしの足は、座椅子の上で左右異なる角度で曲げられている。
 動かせても足を伸ばすか、折りこんでしまうかぐらいのものだ。
 その姿勢が、言葉を、思考を止めてしまう。

 足をぶらぶらさせることが、どうして書くことのスイッチになるのかはわからない。
 けれど、書くことを頭の中に描いたとき、椅子が恋しくなった。

 1番思い出すのは、大学の図書館。
 8時間ほど居座りつづけ、レポートを書いたこともある場所だ。
 きっと相性がいいのだろう。
 図書館の大きな机の一角を切り取って、部屋に据え置きたい。

 引っ越したら、1脚でいい、椅子が置けないかと考えている。
 足をぶらぶらさせたなら、なにかを待って待ったあとに滑らすだけの、時間と思考の無駄なくり返しはさせない気がする。

 もっとなめらかに人生を送れるように。
 もっとなめらかに言葉を紡ぎだせるように。
 どうか、足をぶらぶらさせてくれ。
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by fastfoward.koga | 2012-07-24 21:31 | 一日一言 | Comments(2)

領域と限界を喰らう

 自分の領域を侵されることを、わたしは嫌っている。
 領域とは言い替えれば、安全地帯だ。
 自分と自分の取り巻く世界には境界線がある。
 それは時に線であったり、層であったり、壁であったりするのだけれど、どんなに近しくて親しくて愛しい人でも、必ず存在する。
 でもそれは相手と自分が別の個であることの証明で、決して悲しいことではない。
 自分でないから相手を知ろうとするのだし、その思いが相手をさらに求めることにもなるのだから。

 テリトリーを持つことを、わたしはそんなふうに意識している。
 だから、他人の領域に足を踏み入れることに逡巡する。
 学生時代、何年にもわたって担任教師に「自分で自分の限界を決めている」と言われていた。
 わたし自身はそれは限界だけではなく、自分にも他人にもある領域を意識するがゆえの行動だったように今なら思うのだけれど、それも言い訳にすぎないのだろうか。

 そうして、今日も、限界と領域の狭間で揺れた。

 サポートできることはしてあげたいと思う。
 けれど、相手が言い出す前に、そこまでする必要があるのか。
 求められていることは、胸の中で感じている。
 でも口に出されてはいない。

 結局、中途半端な提案をした。
 帰り道、少なくとも自分の中にある選択肢の中で一番つまらないことを選び、結論づけたような気がした。

 いつ頃からだろうか、帰りの電車で自分を襲うのは報われない思い。
 自分が決めたことなら、迷わずやりきりたい。
 けれど時に混み合った車内ですらも、周囲に誰もいないような孤独を感じる。
 誰かと、交信している。
 かすかでもいい、その実感を欲した。

 読みかけの本は、残りページがわずかになっていた。
 ページを捲るスピードを速めても、どんよりと曇る思いに光は射さない。
 いつもならしずしずとうちに帰り、ビール1本で濁す感情。
 でも今日はふと、隠れて小さな嵐をやり過ごすのではなく、力で吹き飛ばしたくなった。

 途中で電車を降り、改札を抜ける。
 ケーキを買って再び改札をくぐり、書店に立ち寄り1冊の本を手にとった。
 甘いものなんて、自分のためにめったに買わないけれど。
 これを書き終えたら、ひとつ食べよう。
 限界も領域もなくならないし、報われない思いも孤独も消えたりはしないけれど、今日は言葉にした思いをもう1度飲み込むのだ。 
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by fastfoward.koga | 2012-07-23 21:32 | 一日一言 | Comments(4)

6月の巻

1 小川洋子   密やかな結晶・講談社文庫  
2 堀江敏幸   燃焼のための習作・講談社    
3 村上春樹   世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド(上)・新潮社文庫 ※ 

 6月は、記憶にまつわる物語ばかり読みました。
 中旬に参加したイベントでも、「記憶に残る旅」について書いたりもしていたので、おそらく無意識に「記憶」をキーワードに暮らしていたのかもしれません。
 
 そう言えば、イベントの中でこんなことを言っていた人がいました。
「わたしにとって『記憶に残る旅』と『心に残る旅』は違っていて・・・」
 そこでその場は、賛同するような空気になりました。
「『記憶に残る旅』は、きっとこっちなんだと思います」
 そう言って、彼女は頭を指さしました。
 
 けれどわたしは、違います。
 わたしにとって「心に残る」は「印象に残る」と同義で、そこに重さはありません。
 けれど「記憶に残る」ものは、そこに自分の感情や感覚が伴っているので、お腹の中にぐんと沈み込むものもあります。  

 人は記憶まみれで生きている。
 というより、人は記憶でできている。

 わたしは、そう思うのです。

 堀江敏幸の『燃焼のための習作』は、わたしがいつも考える思考のスパイラルについて描かれています。
 会話から生み出される、いや開き続ける記憶の抽斗。
 誰かの言葉から思い出しては紡がれる話の数々。
 わたしは数日かけて読みましたが、この作品は一気に読むことをおススメします。
 そうすれば、物語の中で会話に参加しているような気になれるはずです。
 ぜひ、ご一読を。
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by fastfoward.koga | 2012-07-14 22:45 | 本の虫 | Comments(2)

お伊勢参り

 誕生日の夜、仕事を終えてから近鉄特急に乗った。
 帰宅する人たちがホームに行列をつくる姿を横目で見ながら、特急はするするとすり抜けるように走った。
 シートに腰掛けていたわたしは、旅に向かうというのに、削除したはずの友人から再びメールが届き、憂鬱になっていた。
 車窓は、少しずつ青い色に染まってゆく。
 空は徐々に明るさを消し、灯りが目にとまる。
 その様子をぼんやり見ていたら、再び削除した友人のことも、前のシートでいびきをかいて寝ているおじいさんのことも、後ろのシートで歌を歌う女の子たちのことも、みな気にならなくなってきた。

 翌朝、伊勢市は雨だった。
 晴雨兼用の日傘では太刀打ちできないと、ビニール傘を買う。
 その傘を閉じたり、開いたり。
 1日そんなことをくり返していた。

 外宮から内宮をお参りする。
 どちらもお願いごとをするというより、30代最後の年を迎えたことを報告しに行った小さな旅。
 手を合わせても、頭の中は空白だ。
 ただ来ました。
 そんな小さな小さな旅。

 いい1年にしよう。
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by fastfoward.koga | 2012-07-08 08:37 | 旅行けば | Comments(4)

6月と7月の間

 昨日、ふとんの中で「あぁ、やっと6月が終わる」とつぶやいた。
 とにかく6月、この月が終わればと言い聞かせるように過ごしたひと月。
 残すところあと1時間、というところでやっと入りすぎていた力がふうっと抜けた。

 なんとなく、7月になったらぎゅうぎゅうぱんぱんに詰まった心と頭に風が吹くと思っていた。
 同じくらい忙しい毎日になったとしても、6月と7月とでは、そこに立つ自分自身が違っているという確信があった。
 6月にできないことが、7月ならできる。
 妙な確信。
 息苦しい日々でも、感覚は鈍っていなかった。
 逆に、鈍っていなかったからこそしんどかったのかもしれない。
 
 そして今日はその勘を信じ、不動産屋さんに行ってきた。
 ということで、8月には引越し。

 30代最後の1年、思うところあり、力強く進んでゆくつもり。
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by fastfoward.koga | 2012-07-01 22:08 | 一日一言 | Comments(4)