パンク
2010年 11月 22日
その人の名を口にしたのは、おそらく3年、いや4年ぶりぐらいだったろうか。
スクーリングに聴講生として参加していた女性が、関西のある有名な雑誌の編集部に籍を置いていたと紹介されたとき、わたしはその人の名を思い出した。
彼のことを話題にしようとこちらから話しかけたのに、いざその人の名前を言おうとしたとき、一瞬ためらった。
もしかしたらよく知らない、と言われるかもしれないとも思っていた。
でも彼女は開口一番、彼が尊敬していたアーティストの名前を出し、「○○がすきな方ですよね」と言った。
その意外な返答に、わたしはしどろもどろになって話さなくてもいい彼の昔のプロフィールと自分が彼とどのように出会ったのかを説明した。
「パンクな感じですよ。去年、お子さんができたけど、パンクなままで。」
彼女の言葉に、戸惑った。
あとでひとりになったとき、自分がその人の話題をわざわざ持ち出したのはいったいなんのためだったのかと考えた。
消息が知りたかったのか、ただ自分が彼を知っているということを伝えたかったのか、その名を口にしたかっただけなのか。
なにかがわかったからといって、もう何年も、携帯を替えるたびに連絡先だけを移動させているその人へ連絡できるきっかけになるとも思えなかったけれど、どこかでなにかを求めて、わたしは自分よりも彼に近いと思われた彼女にわざわざ声をかけた。
でもこどもがいると聞かされるとは、まったく予想していなかった。
結婚したことすら知らなかったのだ。
それが予想できないことではないものの、そこで生まれたためらいから、わたしは頭に思い浮かんだ質問を彼女に聞くことはできなかった。
何年前のことになるのだろう。
大きな公園脇に車を止め、彼は運転席、わたしは助手席に座り、並んで話をしたことがあった。
季節はたぶんちょうど今頃、冬の入口で、まっすぐ伸びた道から視線をすっと持ち上げると空には月が出ていた。
満月ではなかったけれど、その大きさは充分わかる程度に丸かった。
いったいなぜそんな話題になったのか、もう思い出すことはできないけれど彼は言ったのだ。
「こどもができて、それが娘やったら、絶対結婚なんてさせへん。」
いわゆる親バカになるんや、とわたしは口に出したかどうか忘れたが、彼が力強く言うもんだからそのばかばかしさに笑った。
「お子さんは、男の子ですか。女の子ですか。」
あの日の夜のことを一瞬で思い出したけれど、聞いてどうなるのだ。
自制心が働いて、口にはしなかった。
スクーリング終了後、学友をひとりふたりと車で送り、最後にIさんひとりを京都駅へ送る道すがら、渋滞する烏丸通で暮れてゆく景色に寂しい感じがするねえと話していた。
わたしはハンドルを握りながら、暮れてゆく冬の夕刻に、彼の車に初めて乗せてもらったときのことを一瞬思い出した。
たぶんその思い出は、今日彼の名を口にしたから思い出したのではない。
あの夕方から、秋と冬の夕暮れどきに車に乗っていたら、何度も思い出されたことなのだ。
でも最後にIさんが車を降りひとりになったら、急に彼のことばかり考え出した。
彼と関わった10数年のいろんなことが、自然に連想ゲームのように思い出された。
車は再び渋滞に巻き込まれ、耳はかけっぱなしになっていたくるりの音楽に吸い込まれた。
『さよなら春の日』をじっと聞き入っていると、さっき思い出したこととオーバーラップして、流れた歳月が重みをもって押し寄せてきた。
そこでふっと我に返る。
思わずオーバーラップさせた記憶と音楽だけれど、実は記憶のほうがさらに10年昔のことなのだと。
急に自分が老いたのだと感じた。
記憶と感覚がまったく違う時間のものなのに一緒くたにするなんて。
そして改めて感じた時間の長さに、自分はもうすっかり違うところへ辿り着いているのだと、その事実を噛みしめた。
彼はもうわたしのことを思い出したりしないだろう。
でもわたしは彼の名を声に出して言ってみた瞬間から、スポットライトを浴びたように突然彼のことを頭の中で再現できた。
そこにとても大きな差異が生じた気がしたけれど、わたしが初めて会った彼女にわざわざ彼の話題をしたのは、そんなことを知るためじゃない。
かつて彼の誕生日に、「わたしはあなたが考えて考えて決めたことは、あなたらしいと思うと思う」と言ったことがある。
彼は「それじゃあ逃げ道がない」と苦笑いしたけれど、ちゃんとその思いに込めたものは受け止めてくれた。
20代のころは、ずっと2歳年上の彼の背中をわたしは追っていた。
彼が先を行くから、わたしはそのあとを信頼してついていくことができた。
でもいつしかわたしは自分の意思のもと、別の道を進んだ。
正直、そんなに離れてしまう道だと思ってはいなかったけれど、選んだのは自分だ。
あれからずいぶん時間が経って、確実に違うものを持つようになったはずなのに、なぜか今彼に会ったとしたらと想像しても、なんにも変わらないと言ってしまいそうな気がする。
彼の前では、わたしはずっとうじうじぐずぐずした人間なのだ。
それでも、伝えたいことがある。
変わらずパンクなあなたのままでいてくれたことは、すごく勇気が出る。わたしはあなたのおかげで深くて長い水の底を耐えることができました、感謝しています。
そう伝えたい。
そしてそれが、わたしが数年ぶりに彼の名を口にした理由なのだと思いたい。
スクーリングに聴講生として参加していた女性が、関西のある有名な雑誌の編集部に籍を置いていたと紹介されたとき、わたしはその人の名を思い出した。
彼のことを話題にしようとこちらから話しかけたのに、いざその人の名前を言おうとしたとき、一瞬ためらった。
もしかしたらよく知らない、と言われるかもしれないとも思っていた。
でも彼女は開口一番、彼が尊敬していたアーティストの名前を出し、「○○がすきな方ですよね」と言った。
その意外な返答に、わたしはしどろもどろになって話さなくてもいい彼の昔のプロフィールと自分が彼とどのように出会ったのかを説明した。
「パンクな感じですよ。去年、お子さんができたけど、パンクなままで。」
彼女の言葉に、戸惑った。
あとでひとりになったとき、自分がその人の話題をわざわざ持ち出したのはいったいなんのためだったのかと考えた。
消息が知りたかったのか、ただ自分が彼を知っているということを伝えたかったのか、その名を口にしたかっただけなのか。
なにかがわかったからといって、もう何年も、携帯を替えるたびに連絡先だけを移動させているその人へ連絡できるきっかけになるとも思えなかったけれど、どこかでなにかを求めて、わたしは自分よりも彼に近いと思われた彼女にわざわざ声をかけた。
でもこどもがいると聞かされるとは、まったく予想していなかった。
結婚したことすら知らなかったのだ。
それが予想できないことではないものの、そこで生まれたためらいから、わたしは頭に思い浮かんだ質問を彼女に聞くことはできなかった。
何年前のことになるのだろう。
大きな公園脇に車を止め、彼は運転席、わたしは助手席に座り、並んで話をしたことがあった。
季節はたぶんちょうど今頃、冬の入口で、まっすぐ伸びた道から視線をすっと持ち上げると空には月が出ていた。
満月ではなかったけれど、その大きさは充分わかる程度に丸かった。
いったいなぜそんな話題になったのか、もう思い出すことはできないけれど彼は言ったのだ。
「こどもができて、それが娘やったら、絶対結婚なんてさせへん。」
いわゆる親バカになるんや、とわたしは口に出したかどうか忘れたが、彼が力強く言うもんだからそのばかばかしさに笑った。
「お子さんは、男の子ですか。女の子ですか。」
あの日の夜のことを一瞬で思い出したけれど、聞いてどうなるのだ。
自制心が働いて、口にはしなかった。
スクーリング終了後、学友をひとりふたりと車で送り、最後にIさんひとりを京都駅へ送る道すがら、渋滞する烏丸通で暮れてゆく景色に寂しい感じがするねえと話していた。
わたしはハンドルを握りながら、暮れてゆく冬の夕刻に、彼の車に初めて乗せてもらったときのことを一瞬思い出した。
たぶんその思い出は、今日彼の名を口にしたから思い出したのではない。
あの夕方から、秋と冬の夕暮れどきに車に乗っていたら、何度も思い出されたことなのだ。
でも最後にIさんが車を降りひとりになったら、急に彼のことばかり考え出した。
彼と関わった10数年のいろんなことが、自然に連想ゲームのように思い出された。
車は再び渋滞に巻き込まれ、耳はかけっぱなしになっていたくるりの音楽に吸い込まれた。
『さよなら春の日』をじっと聞き入っていると、さっき思い出したこととオーバーラップして、流れた歳月が重みをもって押し寄せてきた。
そこでふっと我に返る。
思わずオーバーラップさせた記憶と音楽だけれど、実は記憶のほうがさらに10年昔のことなのだと。
急に自分が老いたのだと感じた。
記憶と感覚がまったく違う時間のものなのに一緒くたにするなんて。
そして改めて感じた時間の長さに、自分はもうすっかり違うところへ辿り着いているのだと、その事実を噛みしめた。
彼はもうわたしのことを思い出したりしないだろう。
でもわたしは彼の名を声に出して言ってみた瞬間から、スポットライトを浴びたように突然彼のことを頭の中で再現できた。
そこにとても大きな差異が生じた気がしたけれど、わたしが初めて会った彼女にわざわざ彼の話題をしたのは、そんなことを知るためじゃない。
かつて彼の誕生日に、「わたしはあなたが考えて考えて決めたことは、あなたらしいと思うと思う」と言ったことがある。
彼は「それじゃあ逃げ道がない」と苦笑いしたけれど、ちゃんとその思いに込めたものは受け止めてくれた。
20代のころは、ずっと2歳年上の彼の背中をわたしは追っていた。
彼が先を行くから、わたしはそのあとを信頼してついていくことができた。
でもいつしかわたしは自分の意思のもと、別の道を進んだ。
正直、そんなに離れてしまう道だと思ってはいなかったけれど、選んだのは自分だ。
あれからずいぶん時間が経って、確実に違うものを持つようになったはずなのに、なぜか今彼に会ったとしたらと想像しても、なんにも変わらないと言ってしまいそうな気がする。
彼の前では、わたしはずっとうじうじぐずぐずした人間なのだ。
それでも、伝えたいことがある。
変わらずパンクなあなたのままでいてくれたことは、すごく勇気が出る。わたしはあなたのおかげで深くて長い水の底を耐えることができました、感謝しています。
そう伝えたい。
そしてそれが、わたしが数年ぶりに彼の名を口にした理由なのだと思いたい。
by fastfoward.koga
| 2010-11-22 23:02
| 一日一言
|
Comments(0)